普光寺。寄居町赤浜にある天台宗寺院

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普光寺。伝大同年間の開創、平安時代後期作の薬師如来像

普光寺の概要

天台宗寺院の普光寺は、大悲山瑠璃光院と号します。普光寺の創建年代等は不詳ながら、大同年間(806-810)の開創とも称され、本尊の薬師如来像は平安時代後期の作と推定されています。当寺傍には鎌倉街道上道が通り、鎌倉時代から室町時代にかけて交通の要衝として栄え、当地周辺は「塚田千軒町」と呼ばれ宿駅となっていました。江戸期には末寺14ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。

普光寺
普光寺の概要
山号 大悲山
院号 瑠璃光院
寺号 普光寺
住所 寄居町赤浜620
宗派 天台宗
本尊 薬師如来像
葬儀・墓地 -
備考 -



普光寺の縁起

普光寺の創建年代等は不詳ながら、大同年間(806-810)の開創とも称され、本尊の薬師如来像は平安時代後期の作と推定されています。当寺傍には鎌倉街道上道が通り、鎌倉時代から室町時代にかけて交通の要衝として栄え、当地周辺は「塚田千軒町」と呼ばれ宿駅となっていました。江戸期には末寺14ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。

境内石碑による普光寺の縁起

普光寺堂宇新築記念碑
当山は大悲山瑠璃光院普光寺と号し、天台宗総本山延暦寺の末寺なり 顧みるに当寺は大同年間開創と称され 当地最古の佛刹である 曽ては十四箇寺の末寺を有し 総本山延暦寺に倣い山王権現を祀り 本寺としての風格を 山門 玄関に留め その特徴を書院造りに現す 昭和二十八年本堂屋根改修すと雖もその骨格基礎は三百有余年の星霜を經て 老朽頓に進み 修復することあたわず
こゝに於て新築の機運大に挙り 担信相談し 寺有山林の一部を売却して基本金とし、且つ担信徒の浄財を仰ぎ 一大改革を断行するに決す
則ち平成二年竹林を埋没整地同五年三月庫裡新築 同六年八月会館落成 同六年九月本堂解体 同七年八月略完工 同八年三月植樹等付帯工事を完了す
これ偏に佛天の加護と担信徒祟祖の賜である
時恰も天台宗祖師讃仰の喜縁に際会し その記念と併せ寛政せるものなり(境内石碑より)

新編武蔵風土記稿による普光寺の縁起

(男衾郡赤濱村)
小名塚田
古別に村落をなせしとぞ、鎌倉繁榮の頃は宿驛を置し地ならんと云、既に當所三嶋社應永二年鰐口の銘に、武蔵國男衾郡塚田宿と彫たり、前に云鎌倉の古街道はこゝに殘れり、
普光寺
小名塚田にあり、故に塚田普光寺と稱す、天台宗東叡山末、大悲山瑠璃光院と號す、此邊數十ヶ寺の本寺あり、本尊薬師を安ず、
稲荷社
伊勢宮
山王社(新編武蔵風土記稿より)


普光寺所蔵の文化財

  • 木造薬師如来坐像付宮殿(寄居町指定文化財)

木造薬師如来坐像付宮殿

像高八五・五センチメートル、補修が大部分になされていますが、衣文が穏やかな平行状の構成を示すなどの定朝様と呼ばれる平安仏の特徴を一部に見せていることから、制作は平安時代後期と考えられます。
かつてこの一帯は鎌倉街道の要衝として栄えたとされることから、この薬師像も往時から信仰の対象として伝えられてきたのでしょう。
また、宮殿は、製作年代等不明ですが、江戸時代初期から本像を納めていたとの記録があり、付として指定されています。(寄居町教育委員会掲示より)

普光寺の周辺図