牟札熊野神社。寄居町牟札の神社

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牟札熊野神社。当地の修験小菅刑部が享保年間に勧請

牟札熊野神社の概要

牟札熊野神社は、寄居町牟札にある神社です。牟札熊野神社は、享保年間(1716-1736)に当地の修験小菅刑部が熊野大権現を勧請し祭祀したといいます。牟礼村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治40年字金山の金山神社、字駄木所の白髭神社、字柳沢の琴平神社、字新井の稲荷神社、字台の天神社、外根木の八幡神社を合祀しています。

牟札熊野神社
牟札熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 家都御子神・御子速玉神・熊野夫須美神
相殿 -
境内社 天之手長男神社、八坂神社、金山石祠、金比羅・白髭・天神・八幡・稲荷合殿
祭日 お日待4月17日、道饗祭7月23日、八坂祭7月25日、秋祭り10月17日、手長祭12月1日
住所 寄居町牟札460
備考 -



牟札熊野神社の由緒

牟札熊野神社は、享保年間(1716-1736)に当地の修験小菅刑部が熊野大権現を勧請し祭祀したといいます。牟礼村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治40年字金山の金山神社、字駄木所の白髭神社、字柳沢の琴平神社、字新井の稲荷神社、字台の天神社、外根木の八幡神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による牟札熊野神社の由緒

(男衾郡無禮村)
熊野社
村の鎮守なり、津嶋天王を相殿とす、又薬師・觀音・地蔵の三軀を安ず、村持、
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天神社
稲荷社二宇
白髭社
以上の四社、村民の持なり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による牟札熊野神社の由緒

熊野神社<寄居町牟礼四六〇>
当地は、寄居町東方の山間部にある。地名「ムレイ」は、古語で山を示す場合と、村を示す場合とがあるといわれるが、当地では前者を「牟礼」と表している。『風土記稿』富田村の項には「富田村は正保のものには、無礼村を合て富田牟礼村と載す、其後元禄度の改めには、各別村となれり」とあり、元禄年間(一六八八-一七〇四)には一村として独立している。
鎮座地は、地内の物見山西麓にある小高い山上にある。また、この南方には鎌倉古道が通っている。
口碑によると、享保年間(一七一六-三六)、当地の字台に住む小菅刑部なる修験が、紀州から熊野大権現を勧請し、日夜祭祀に励んだという。この小菅刑部は、享保七年(一七二二)四月二十九日に当社境内において即身成仏したと伝えられる。刑部の死後、地内の天台宗長昌寺が神仏分離まで神勤を行った。
祭神は、家都御子神・御子速玉神・熊野夫須美神の三柱で、『風土記稿』には本地仏として薬師・観音・地蔵を安置し、相殿には津島天王を祀るとある。
『明細帳』によると、明治四十年五月十八日、字金山の金山神社、字駄木所の白髭神社、字柳沢の琴平神社、字新井の稲荷神社、字台の天神社、外根木の八幡神社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


牟札熊野神社の周辺図