堀口天満天神社。所沢市上山口の神社

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堀口天満天神社。地頭久松氏が天正年間に奉斎

堀口天満天神社の概要

堀口天満天神社は、所沢市上山口にある天満天神社です。堀口天満天神社は、地頭久松氏が天正年間(1573-1593)に耕地を寄附して堀口村の鎮守としたといい、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領5石の御朱印状を拝領したといいます。明治元年に清照寺境内にあった八坂神社・稲荷神社を合祀、狭山湖の造成に伴い、字天神山に鎮座から当地長久保へ遷座したといいます。

堀口天満天神社
堀口天満天神社の概要
社号 天満天神社
祭神 菅原道真朝臣・天穂日命・花園姫
相殿 -
境内社 火消稲荷神社、八坂神社
祭日 -
住所 所沢市上山口436
備考 -



堀口天満天神社の由緒

堀口天満天神社は、地頭久松氏が天正年間(1573-1593)に耕地を寄附して堀口村の鎮守としたといい、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領5石の御朱印状を拝領したといいます。明治元年に清照寺境内にあった八坂神社・稲荷神社を合祀、狭山湖の造成に伴い、字天神山に鎮座から当地長久保へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による堀口天満天神社の由緒

(堀口村)天神社
慶安二年社領五石の御朱印を賜へり、神體は木にて束帶の状なり、例祭二月八月廿五日の二度に祭れり、村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による堀口天満天神社の由緒

天満天神社<所沢市上山口四三六(上山口字長久保)>
東京都の上水道用貯水池として昭和九年に完成した狭山湖とその周辺は、県立狭山自然公園にも指定され、県民の憩の場になっている。
当地は、以前、堀口村と呼ばれており、狭山湖完成により、その西半分が湖底に沈み、残った土地に人家や社寺などが移転した。
当社はそれまで字天神山に鎮座していたが、狭山湖の造成に伴い、現在の字長久保に遷座した。旧鎮座地は、村のほぼ中央に当たる所で、二ツ池をふもとに配し、村を見渡す小山の上にあった。旧地にあった社殿は現在社務所として利用され、現在の社殿は移転に際し新築されたものである。
創建については『明細帳』に「天正ノ末年徳川家ノ臣旧地頭久松氏崇敬シテ耕地ヲ寄附シ旧堀口村ノ鎮守トス、其後慶安二年十月十七日旧幕徳川氏ヨリ朱印高五石ヲ賜り、真言宗清照寺別当タリシカ、維新ニ至り同寺ノ別当ヲ解キ神官奉仕ス」とある。なお久松家は維新まで毎年二月二五日に幣物を寄せていた。
祭神は菅原道真朝臣・天穂日命・花園姫である。境内には、天明年中清照寺境内へ勧請され、明治元年合祀された八坂神社と稲荷社がある。(「埼玉の神社」より)


堀口天満天神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)