鳩峰八幡神社。所沢市久米の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

鳩峰八幡神社。旧郷社、兜掛けの松

鳩峰八幡神社の概要

鳩峰八幡神社は、所沢市久米にある八幡神社です。鳩峰八幡神社は、石清水八幡宮を分祀して延喜21年(921)に創建、新田義貞が鎌倉幕府を攻める際の元弘3年(1333)には当社で戦勝祈願したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領5石の御朱印状を拝領、明治5年村社に、大正10年郷社に列格したといいます。

鳩峰八幡神社
鳩峰八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命・息長帯姫命・比賣神
相殿 -
境内社 鎧稲荷社、浅間社、神明社、諏訪社、愛宕社、日枝社、八坂社、水天宮
祭日 -
住所 所沢市久米2429
備考 -



鳩峰八幡神社の由緒

鳩峰八幡神社は、石清水八幡宮を分祀して延喜21年(921)に創建、新田義貞が鎌倉幕府を攻める際の元弘3年(1333)には当社で戦勝祈願したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領5石の御朱印状を拝領、明治5年村社に、大正10年郷社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による鳩峰八幡神社の由緒

(久米村)
八幡社
社領五石、慶長十一年の棟札あり、時の地頭山田権右衛門・中根傳七郎・高井某等の名あり、當社鎮座は元弘三年五月にて、新田義貞の願主なりと云傳ふ(新編武蔵風土記稿より)

所沢市観光協会掲示による鳩峰八幡神社の由緒

鎮祭は延喜二十一年(九二一)山城國(京都)男山鎮座、石清水八幡宮を分祀し勧請したと伝えられる。
貞永年間(一二三二)に社殿を修復し、元弘三年(一三三三)五月、新田義貞公鎌倉討伐の折、八國山の勝軍塚に陣し、当社に参拝して戦勝を祈願したと伝える。境内には参拝の時兜をかけた「兜掛けの松」、鎧を置いた所に祀った「鎧稲荷」の祠の旧蹟がある。
天正十九年(一五九一)十一月、徳川家康公、社領御朱印五石を寄進され、代々将軍より幕末まで寄進される。
慶長十三年(一六〇八)地頭竹本茂兵衛正信・山田権右衛門・中根伝七郎・高井助兵衛が社殿を修復す。
本殿は一間社流れ造り、見世棚形式の木造建築で、県内に数少ない室町時代以前の古社建造物である。
明治五年村社、大正十年郷社に列す。(所沢市観光協会掲示より)

所沢市教育委員会掲示による鳩峰八幡神社の由緒

当社は社伝によれば延喜二十一年(九二一)京都市男山鳩峰の石清水八幡宮を勧請してまつったといわれている。
また元弘三年(一三三三)五月、新田義貞の鎌倉攻めには、社の東南にある八国山に陣し、当社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられ、境内は多くの樹木に覆われ、古社の趣きを呈している。摂社には八坂神社、水天宮がある。(所沢市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による鳩峰八幡神社の由緒

八幡神社<所沢市久米二四二八(久米字鳩峰)>
当地は市の南部に位置し、狭山丘陵を挟んで東京都東村山市と接する。丘陵上には『續日本後記』天長一〇年五月の条に記される武蔵国悲田処跡と見られる遺跡のほか、関八州を見渡すことができることから名付けられた八国山がある。また、八国山頂上にある当社社地には将軍塚並びに市の指定史跡の元弘青石塔婆所在地がある。
当社はこの八国山の西北西に当たる鳩ヶ峰に鎮座する。慶長一六年に記された『武蔵國入東郡久米鄕旧跡誌』の鳩峰八幡宮の項には「古老の口碑に延喜廿一季辛已山城国男山鳩峰八幡太神を分け勧請せり、因此地を鳩峰といひ伝ふ、祭神は誉田別命・息長帯姫命・比賣神の三神なり」とあり、京都の石清水八幡宮からの勧請を伝え、併せて、「本社破損修復寄附何々の木誰何々木誰貞永……辰、月日と本社右のはめ板ニ記載あり」と貞永元年の修理について載せている。
元弘三年五月、新田義貞が鎌倉攻めの際、八国山に陣を敷き、当社に戦勝祈願の折、義貞が兜を掛けた松を兜掛け松と呼んで、松は代を重ねてもその名を今に継いでいる。また、鎧を置いた跡に稲荷を勧請して鎧稲荷として祀ったと伝えている。
徳川家康からは、関東移封の翌年に当たる天正一九年一一月に、朱印五石が寄進されている。
当社現存の棟札に慶長一三年のものがあり、一間社流造り見世棚の本殿は県指定文化財となっている。
また、往古、三体の神像があったものを当地の郷士久米六右衛門が児玉郡八幡山村へ転居の際、本社棟札と神体一体とを彼の地へ移したという。この六右衛門は久米の地名ともなった久米但馬守の末孫で、この時は文永年度以前と考えられている。なお、当社では現在丈一尺五寸。幅六寸の丸木彫神像二体が内陣に奉安されている。(中略)
境内には、本殿裏の八幡神社奥社のほか、鎧稲荷社・浅間社・神明社・諏訪社・愛宕社・日枝社・八坂社が祀られており、更に、一段下がった所に、別個に境内施設を持つ水天宮がある。
往時、別当は隣接する真言宗王禅山釈迦院仏眼寺が当たっていたが、神仏分離により二五世勝盛が復飾して祀職となり、嶺勝盛を名乗り、以来、徳三郎、浅吉、勝悳、崇と五代にわたって神職を務めている。
当社にはこのような寺との関係から、参道入口脇の鍾楼に仏眼寺及び当社由来が刻まれた洪鍾がかけられている。(「埼玉の神社」より)


鳩峰八幡神社所蔵の文化財

  • 鳩峰八幡神社本殿(埼玉県指定文化財)
  • 八坂神社社殿(所沢市指定文化財)
  • 兜掛けの松

鳩峰八幡神社本殿

一間社流れ造りの木造建築で、県下に数少ない室町時代の古建造物である。(所沢市教育委員会掲示より)

八坂神社社殿

もと長久寺の西、天王坂にあった。繊細な彫刻がほどこされた江戸後期のすぐれた建築物である。(所沢市教育委員会掲示より)

兜掛けの松

新田義真が参拝の折、境内の松に兜をかけたと伝えられ、現在記念碑が立っている。(所沢市教育委員会掲示より)

鳩峰八幡神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)