鶴ヶ曽根下久伊豆神社。八潮市鶴ヶ曽根の神社

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鶴ヶ曽根下久伊豆神社。鶴ヶ曽根上久伊豆神社を勧請

鶴ヶ曽根下久伊豆神社の概要

鶴ヶ曽根下久伊豆神社は、八潮市鶴ヶ曽根にある久伊豆神社です。鶴ヶ曽根下久伊豆神社は、天文3年(1534)に創建した宝幢寺の鎮守社として、鶴ヶ曽根上久伊豆神社の分霊を勧請して創建したといいます。明治42年(1909)鶴ヶ曽根上久伊豆神社へ合社したものの、下組に不幸が続発したため、大正期に久伊豆神社を再勧請したといいます。

鶴ヶ曽根下久伊豆神社
鶴ヶ曽根下久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 八潮市鶴ヶ曽根1821
備考 -



鶴ヶ曽根下久伊豆神社の由緒

鶴ヶ曽根下久伊豆神社は、天文3年(1534)に創建した宝幢寺の鎮守社として、鶴ヶ曽根上久伊豆神社の分霊を勧請して創建したといいます。明治42年(1909)鶴ヶ曽根上久伊豆神社へ合社したものの、下組に不幸が続発したため、大正期に久伊豆神社を再勧請したといいます。

新編武蔵風土記稿による鶴ヶ曽根下久伊豆神社の由緒

(鶴ヶ曽根村宝幢寺項)
久伊豆社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鶴ヶ曽根下久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<八潮市鶴ヶ曾根一八二一(鶴ヶ曾根字屋敷添)>
鶴ケ曾根は中川右岸の沖積地に位置し、自然堤防上に古くからの集落がある。この集落は上と下の二つの村組に分かれ、それぞれで鎮守に久伊豆神社を祀っていノる。
上の久伊豆神社は『風土記稿』鶴ケ曾根村の項に「久伊豆社、村の鎮守なり、薬王寺の持」と記されている。また、貞享元年の「医王寺年貢除地願書」(八条清勝院文書)によれば、同社が文禄三年(一五九四)以前から既に祀られていたことがわかる。
一方、下の久伊豆神社すなわち当社は、同書に宝幢寺の境内社として見え、「宝幢寺、同宗(真言宗)、足立郡元木村吉祥院末、本尊正観音を安ず、天文三年(一五三四)の起立とのみ伝へり、鐘楼、享保五年鋳造の鐘をかく、観音堂、今廃れて再建せず、久伊豆社」と記されている。ただし、天文三年の年紀は、実際には開山の有慶阿闇梨が入寂した年代であるので、それ以前の起立である。
口碑によれば、当社は上の久伊豆神社の分霊であるという。その創建の年代は、宝幢寺の起立以降のことであろう。
当社は、神仏分離により宝幢寺の管理下から離れ、社格制定に際しては上の久伊豆神社が村社となったのに対して、無格社とされた。しかし、その後の合祀政策に際しても村社の方に合祀されることなく、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


鶴ヶ曽根下久伊豆神社所蔵の文化財

  • 弓ぶち(埼玉県選択無形民俗文化財)
  • 鶴ヶ曽根下久伊豆神社のまつり(市指定無形民俗文化財)
  • 蛇捩り

弓ぶち

毎年一月二十日に行われる弓ぶちは、一年間の吉凶を占うお歩射行事で、市指定の外に県指定選択民俗文化財「八潮市のオビシャ」として選定される。弓ぶちの祭礼の準備は、神社境内にて祭り組に別れ、弓矢や的が作られる。往時は、各組の宿において準備をしたと伝える。弓矢や的は神饌とともに神前に供え、祭式が執り行われる。下の久伊豆神社の祭り組は、四軒組(四軒在家)・八軒組(八軒在家)・鈴組・谷中組があり、祭礼のおりに各組の宮帳を作成して、新旧当番のトワタシ(頭渡し)を行う。その後、公民館にて直会を開く。直会の後、各組ごとの鬼の絵や「鬼」と書いた的を立て、的に矢を射り、当たり具合でその年の吉凶を占う。曾ては各組の宿にて大盤振舞いのもてなしをしたと伝える。(八潮市教育委員会掲示より)

鶴ヶ曽根下久伊豆神社のまつり

鶴ヶ曽根は、利根川(中川)右岸の自然堤防上に集落が発展し、古代条理の遺構地と目され、崎西荘の産土神の久伊豆神を祭祀する。鶴ヶ曽根には、文保年間(一三一七〜一九)の板碑を初めとし、多数の板碑が現存、また至徳四年(一三八七)頃には鶴ヶ曽根河関がおかれていた場所でもある。鶴ヶ曽根のムラ組は、上・下に分かれ、それぞれに久伊豆神社を祀る。下の久伊豆神社の勧請は不詳。祭神は大己貴命。久伊豆神社は、天文三年(一五三四)開山の宝幢寺(真言宗)の守護神であったが、明治元年(一八六八)神仏分離令により独立、下組の神社となる。明治十二年(一八七九)頃の社殿は間口二間・奥行き二間半、拝殿間口三間・奥行き二間、境内い稲荷社を祭祀していた。明治四十二年(一九〇九)合社令により村社久伊豆神社へ合社したが、その後、下組に不幸が続発したため、大正期に久伊豆神社を再勧請し、現在に至る。(八潮市教育委員会掲示より)

鶴ヶ曽根下久伊豆神社のまつり

毎年四月二十日に行われる蛇捩りは、神社境内において藁蛇を作り、ムラ入り口において悪童や悪疫などがムラへ入り込むのを防ぐツジギリ(辻切り)行事である。下組では、各自が藁を持ち寄り、イチョウの木において、蛇の胴体を編み上げ、頭と結合させる。特に下組では、この日をネーマヅクリ(苗間作り)のタネマキショウガツ(種蒔き正月)と呼んで、藁蛇とお神酒などを神前に供えて稲苗の生育及び五穀豊穣を祈願してから、直会を催す。その後、祭礼参加者全員で藁蛇を持ち、下妻街道沿いのムラクチ(村口)愛宕社跡までジャドウチュウ(蛇道中)をする。そしてナラの木に藁蛇を絡ませて、下を通る人達に睨みが利くように祀る。またそれとは別に、下妻道の小作田境と中川堤の二丁目境に青竹二本に注連縄を張り、ツジギリ(辻切り)をする。藁蛇祭祀は、八潮地方で広く行われてきた行事であったが、簡素化され行われなくなった行事の中で、下組の藁蛇は大きく見ごたえがあり、古い祭礼形態を良く伝える。(八潮市教育委員会掲示より)


鶴ヶ曽根下久伊豆神社の周辺図