慈眼寺。狭山市入間川にある曹洞宗寺院

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慈眼寺。武蔵野三十三観音霊場

慈眼寺の概要

曹洞宗寺院の慈眼寺は、妙智山と号します。慈眼寺は、正長元年に創建、徳林寺を開山した一樹存松(天文2年1533年寂)が大永年間(1521-1527)に開山したといい、慶安2年(1549)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。武蔵野三十三観音霊場16番です。

慈眼寺
慈眼寺の概要
山号 妙智山
院号 -
寺号 慈眼寺
住所 狭山市入間川1-9-37
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



慈眼寺の縁起

慈眼寺は、正長元年に創建、徳林寺を開山した一樹存松(天文2年1533年寂)が大永年間(1521-1527)に開山したといい、慶安2年(1549)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による慈眼寺の縁起

(入間川村附新田)慈眼寺
これも(郡中木蓮寺村)瑞泉院末、妙智山と號す、慶安二年寺領御朱印を賜ふ、其文に阿彌陀堂領十石とあり、本尊は正観音の坐像なり、されど之は後にさだめし本尊にて、昔の本尊は阿彌陀の立像なり、長二尺五寸、安阿彌の作なりと云、今本尊の傍に安ず、當寺は正長元年の起立なりと云、大永年中僧一樹存松建立して一寺とせしより、今に至て連續す、故に姑く存松を開山とす、此存松は則徳林寺の開山なれば此僧當時住持たりしとき、かの寺の地中別に一寺を建立せしにや、元禄十三年總寧寺の住僧縁岩が銘文に武州入間郡入間川村妙智山慈眼寺者、正長元戊申歳、雖起立歴星雷九十餘年、從大永年中係天文歳、初開祖一樹和尚、挿草布金矣、爾来凭時世治亂有與廢、陵谷近代法務兼備、殿閣漸建、這回勧群檀鋳花而乞銘于予、不獲獣止採筆書と彫て、數句の銘あり。
衆寮
子之神社。神體はいかなる故にや今多磨郡大久野村天正寺にありと云、其形は銅にて鏡の如く丸くつくりて、中央に佛像を鋳出したるものなり、元亀三年と彫てありと云、然るに今天正寺を尋ぬれど、いかがしけん傳はらずと云り、又此社に古き鰐口をかく、其圖有縁如し、裏面に應永廿三年丙午小村十三日とあり、これによれば應永年間、この社已に勧請ありしことしらる。 (新編武蔵風土記稿より)


慈眼寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿