西光寺。坂戸市塚越にある曹洞宗寺院

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寶福山西光寺。小島豊後が、屋敷内に西光庵を結んで創始

西光寺の概要

曹洞宗寺院の西光寺は、寶福山と号します。西光寺は、越後の上杉氏に仕えた小島豊後が、屋敷内に西光庵を結んで創始、その子越後(法名寶福院天空玄理上座)が天文年間(1532-1555)に再興して西光寺と号したといい、その後龍穏寺二十世撫州春道大和尚(正保3年1647年寂)が開山したといいます。中武蔵七十二薬師22番です。

西光寺
西光寺の概要
山号 寶福山
院号 -
寺号 西光寺
本尊 釈迦牟尼仏像
住所 坂戸市塚越567
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



西光寺の縁起

西光寺は、越後の上杉氏に仕えた小島豊後が、屋敷内に西光庵を結んで創始、その子越後(法名寶福院天空玄理上座)が天文年間(1532-1555)に再興して西光寺と号したといい、その後龍穏寺二十世撫州春道大和尚(正保3年1647年寂)が開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による西光寺の縁起

(塚越村)西光寺
禅宗曹洞派、龍ヶ谷龍穏寺末、寶福山と號す、開山は本寺廿世撫州春道正保三年七月廿五日示寂す、開基は小嶋豊後とて、管領上杉氏の士なりしが、居屋敷の内へ初て庵室を建て西光庵と號す、其こ越後は天文年中河越夜軍の後上杉を去て北條氏に屬し、舊によりて土着せしが、後宅をすて庵を再興して西光寺と號す、天正二年十月十三日卒す、法謚して寶福院天空玄理上座と號す、其後初て春道住職して、仝の一寺となせしにより、此僧を以て開山とすと云へり、今村民兵右衛門は越後が子孫なりと云傳ふ、本尊は彌陀の立像三尺許り、定朝の作なり。
鍾樓。鐘は安永六年に鑄造せり。
薬師堂。薬師は定朝の作、坐像にて一尺二寸。
白山社、秋葉社。(新編武蔵風土記稿より)

坂戸市教育委員会掲示による西光寺の縁起

西光寺は、江戸時代に建立された曹洞宗のお寺です。周辺には「大宮住吉神楽」が伝わる大宮住吉神社や源義家の言い伝えが残る義家塚などの史跡が残っています。
西光寺は、越後の大名・上杉氏に仕えた小島豊後が、屋敷内に庵を建て西光庵と称したことに始まります。その子越後によって、天文年間(一五三二~五五)に庵が再興され、「西光寺」と呼ばれるようになりました。小島氏は当地に帰農して境内を寄付し、開基となっています。江戸時代になると龍穏寺(越生町)二十世撫州春道大和尚が開山となって、今日の基礎を築きました。
山門の前に立つ二体の仁王像は、本堂裏の墓地に祀られている金子稲荷観音ゆかりのもので、元禄十二年(一六九九年)に製作されました。石造りの仁王像は数が少なく、近隣に例をみません。
正面本堂には、ご本尊の釈迦如来、脇仏として阿弥陀如来、弥勒菩薩の三尊が祀られています。境内左手の薬師堂には、薬師如来、日光・月光菩薩の薬師三尊に加え、十二神将、不動明王などが祀られ、中武蔵七十二薬師尊の二十二番札所として、古くから当地方の人々の信仰を集めています。
本堂裏の墓地には、中世(南北朝期)に勝呂地区一帯を本拠地として在地領主・勝氏ゆかりの宝篋印塔が、塚越の五輪山から移されました。貞治五年(一三六六年)の元号と「勝次郎左衛門入道頼阿」の銘が刻まれています。(坂戸市教育委員会掲示より)


西光寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」