大福寺。坂戸市新堀にある天台宗寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

薬王山大福寺。坂戸市新堀にある天台宗寺院

大福寺の概要

天台宗寺院の大福寺は、薬王山釋迦院と号します。大福寺は、天正12年(1584)に仙波中院から来た僧順榮が、衰廃していた東光寺薬師堂と、釈迦堂とを合わせて一寺とし開山したといいます。東光寺については不詳ながら、過去帳に秀山律師が貞治五年(1366)に寂していたとあることから南北朝時代には開創されていたことが窺えます。

大福寺
大福寺の概要
山号 薬王山
院号 釋迦院
寺号 大福寺
本尊 不動明王像
住所 坂戸市新堀228
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大福寺の縁起

大福寺は、天正12年(1584)に仙波中院から来た僧順榮が、衰廃していた東光寺薬師堂と、釈迦堂とを合わせて一寺とし開山したといいます。東光寺については不詳ながら、過去帳に秀山律師が貞治五年(1366)に寂していたとあることから南北朝時代には開創されていたことが窺えます。秀山律師は大井徳性寺を開山した僧です。

新編武蔵風土記稿による大福寺の縁起

(新堀村)
大福寺
天台宗、仙波中院末、薬王山釋迦院と號す、起立の由緒を尋るに、昔村内に東光寺と云寺あり、何の頃か衰廢して薬師堂のみ遺れり、又其頃東の方に釋迦堂ありしを、天正十二年仙波より順榮といふ僧来て、此二堂を合せて本堂とし、終に一寺を起立せりと云う、依て今順榮を開山とす、是より前のことは詳ならず、過去帳を閲るに秀山と云僧、貞和五年六月八日寂せし由をのす、此秀山は當寺の開山なりとも又東光寺の開山ならんとも云て、慥なることを知ず、本尊不動の立像、其傍に薬師の木像を安ず、是は古の東光寺の本尊にて、行基菩薩の作なりと云、免田四畝を附す、其山は村東にて元東光寺の境内なりし由、今の寺地は岡田治部と云ものゝ陣屋跡なりと云、
釋迦堂。前に云如く昔は村の東にありし堂なり、今も其跡に免地六畝有と云、釈迦は坐像にして長二尺許り、行基菩薩の作なりといふ、
熊野社(新編武蔵風土記稿より)


大福寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」