上吉田諏訪神社。坂戸市北坂戸の神社

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上吉田諏訪神社。旧武田家家臣が土着し創建

上吉田諏訪神社の概要

上吉田諏訪神社は、坂戸市北坂戸にある神社です。上吉田諏訪神社は、武田信玄・勝頼に仕えていた信州諏訪の宮嶋・松本の二氏が、武田家滅亡後に当地で帰農、天正年間(1582年以降1592年まで)に故郷の諏訪大社を勧請したといいます。天神社、八幡社を相殿とし、当地上吉田村の鎮守として祀られていました。明治時代後期の神社整理令により明治42年坂戸神社に合祀されましたが、戦後復祀しています。

上吉田諏訪神社
上吉田諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 健御名方富命
相殿 弥都波能売命、菅原道真公、応神天皇、伊弉諾尊・伊弉冉尊・日本武尊-
境内社 -
祭日 -
住所 坂戸市北坂戸
備考 -



上吉田諏訪神社の由緒

上吉田諏訪神社は、武田信玄・勝頼に仕えていた信州諏訪の宮嶋・松本の二氏が、武田家滅亡後に当地で帰農、天正年間(1582年以降1592年まで)に故郷の諏訪大社を勧請したといいます。天神社、八幡社を相殿とし、当地上吉田村の鎮守として祀られていました。明治時代後期の神社整理令により明治42年坂戸神社に合祀されましたが、戦後復祀しています。

境内掲示による上吉田諏訪神社の由緒

鎮守の神々(上吉田)
戦国末期(天正十年)南信諏訪から此の地に帰農した人々が旧地で信仰した諏訪神社を鎮守として祀った。後次第に外の神々を祀り五社となった。内、諏訪神社、天神社、八幡神社の三社は明治四十二年一旦坂戸神社に合祀したが、大東亜戦争後又元に還って祭られている。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による上吉田諏訪神社の由緒

(上吉田村)
諏訪社
天神八幡を相殿とす、村の鎮守なり、村民の持。
末社。水神社、稲荷社。
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舊家者藤吉
宮嶋氏なり、代々名主を勤む、先祖を縫殿助と稱し、信濃國諏訪の一族にて天正年中當所へ移りしとなり、故に鎮守諏訪明神を村内に勧請すと云、紋は丸の内に梶の葉なり、又松本を氏とせる村民丈助は、諏訪氏の家人なりしなどいへり、按に寺井宿眞行寺の開基眞行尼は、武田信玄の妹なりしが、勝賴滅亡の後上吉田村に暫く住し、其後彼寺を開きしと云傳ふ、今村内にて眞行尼の事を傳へざれど、宮嶋・松本の二人は武田氏に仕へし者なりといへば、尼も嘗て爰に来りしなるべし、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上吉田諏訪神社の由緒

坂戸神社<坂戸市日の出町七-二(坂戸字日枝前)>項
主な合祀社を、同じく『風土記稿』に拾うと、上吉田の「諏訪社 天神八幡を相殿とす、村の鎮守なり、村民の持」、粟生田の「稲荷社 当所の鎮守なり」などが見られる。(「埼玉の神社」より)


上吉田諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)