東泉寺。新秩父三十四ヶ所霊場、武州足立百不動尊霊場
東泉寺の概要
天台宗寺院の東泉寺は、光珠山普光院と号します。東泉寺の創建年代等は不詳ながら、玄性が開山したといい、当寺14世円海が享保3年(1718)に示寂したといいます、新秩父三十四ヶ所霊場12番、武州足立百不動尊霊場14番、武蔵東向寅薬師足立十二札所(北側)4番です。
山号 | 光珠山 |
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院号 | 普光院 |
寺号 | 東泉寺 |
住所 | さいたま市浦和区瀬ヶ崎2-15-3 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | 東泉寺道心会館 |
備考 | - |
東泉寺の縁起
東泉寺の創建年代等は不詳ながら、玄性が開山したといい、当寺14世円海が享保3年(1718)に示寂したといいます。
新編武蔵風土記稿による東泉寺の縁起
(瀬ヶ崎村)東泉寺
天台宗、中尾村吉祥寺の末、青柳山普光院と号す。開山を玄性と云、寂年を傳へざれど、十四世円海は享保3年正月9日寂すと云へば、玄性が時代も大抵推て知るべし。本尊は弥陀を安置せり。
三島社。村の鎮守にて、第六天牛頭天王、天満宮を合祀せり。
虚空蔵堂。
鐘楼、鐘は近き頃の銘也。
薬師堂、薬師は慈覚大師の作。立像1寸8分。この堂の傍に月待の供養塔あり。文明3年11月25日としるし、道珍禅門、道覚禅門、道徳禅門等の名をえれり、何人なるかは知らず。(新編武蔵風土記稿より)
東泉寺所蔵の文化財
- 東泉寺阿弥陀三尊図像板石塔婆一基(さいたま市指定有形文化財)
東泉寺阿弥陀三尊図像板石塔婆一基
板石塔婆は、鎌倉時代から室町時代にかけて墓塔、供養塔などとして建てられたもので、板碑、青石塔婆ともいわれます。秩父に産する緑泥片岩など、石材に恵まれている埼玉県付近には特に多く見られます。
この板石塔婆は、本尊の来迎阿弥陀三尊図像を線刻し、下部中央に「奉待供養逆修」「文明三年辛卯十一月廿三日」(一四七一)、その左右に二名ずつ四名の禅門号を刻みます。
「待供養」とあるだけで、何を目的とした供養か記されていませんが、本尊が阿弥陀三尊であること、「十一月廿三日」の造立であること、四名の結集によること、また、民間信仰に関わる板石塔婆が数多く立てられた時期と重なることから、「月待供養」の板石塔婆と考えられます。
月待供養とは、志を同じくする人々が集まって飲食を共にし、念仏等を唱えながら月の出を待つ行事のことです。「逆修」の銘文によって、菩提寺から生前に「禅門」の法名をいただいた四名が、自分たちの死後の仏事を修するために月待供養を行ったのでしょう。
室町時代における、市域の人々の民間信仰を知るうえで、貴重な歴史資料です。(東泉寺・さいたま市教育委員会掲示より)
東泉寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」