東光寺。関東九十一薬師霊場
東光寺の概要
曹洞宗寺院の東光寺は、大宮山と号します。東光寺は、熊野那智山光明坊の住僧宥慶阿闍梨が、東光坊として創建、その後梁室和尚(長享元年1487年)が曹洞宗東光寺として中興したと伝えられます。関東九十一薬師霊場28番です。
山号 | 大宮山 |
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院号 | - |
寺号 | 東光寺 |
住所 | さいたま市大宮区宮町3-6 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | 東光寺東光殿 |
備考 | 関東九十一薬師霊場28番 |
東光寺の縁起
東光寺は、熊野那智山光明坊の住僧宥慶阿闍梨が、東光坊として創建、その後梁室和尚(長享元年1487年)が曹洞宗東光寺として中興したと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による東光寺の縁起
東光寺
大宮山と号す。曹洞宗、新染谷村常泉寺末なり。寺記及鐘銘に據るに、当寺は昔紀伊国熊野那智山光明坊の住侶、宥慶阿闍梨関東下向の時、当国足立原に宿りて黒塚の悪鬼を呪伏し、その側に坊舎を立て東光坊と号す。是熊野の光明東国に輝と云意を表せしとなり。今按に此説いと浮たる事なり、想うに此所に黒塚と云塚ある故に、彼平兼盛が陸奥の安達原の鬼を詠ぜし歌に附会せしならん。さて当寺は天台宗の由記録に見ゆ、真言宗なりとも云。誰か是なりや、其後曹洞宗僧梁室和尚、中興して一寺とし、東光寺と号す。此僧は長享元年正月28日化す。本尊薬師。客殿に安置せり。
鐘楼、客殿の右にあり、鐘径2尺5寸。舊鐘は元禄9歳現住枯山がありしと云。其文は今寺に収む。宥慶虚鬼降伏の事を称す。今の鐘は享保6年鋳る所にして現住教發が銘あり。ここには略す。(新編武蔵風土記稿より)
東光寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」