正法院。北足立八十八ヵ所霊場
正法院の概要
真言宗智山派寺院の正法院は、勅言山福蔵寺と号します。正法院の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「新義真言宗、倉田村明星院末、勅言山福蔵寺と號す、本尊彌陀を安せり」とあります。北足立八十八ヵ所霊場38番です。
山号 | 勅言山 |
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院号 | 正法院 |
寺号 | 福蔵寺 |
住所 | さいたま市見沼区南中野451 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正法院の縁起
正法院の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「新義真言宗、倉田村明星院末、勅言山福蔵寺と號す、本尊彌陀を安せり」とあります。
新編武蔵風土記稿による正法院の縁起
(中野村)正法院
新義真言宗、倉田村明星院末、勅言山福蔵寺と號す、本尊彌陀を安せり。
地蔵像。(新編武蔵風土記稿より)
正法院所蔵の文化財
- 円空作木造薬師如来立像(埼玉県指定文化財)
- 円空作木造十二神将立像(埼玉県指定文化財)
- 宝篋印塔(さいたま市指定文化財)
円空作木造薬師如来立像円空作木造十二神将立像
江戸時代前期の円空という僧が彫刻した仏像や神像を円空仏といいます。
円空は、寛永九年(一六三二)に現在の岐阜県羽島市で生まれたと伝えられ、元禄八年(一六九五)同県関市で亡くなりました。天台宗や修験を修め、一二万軀の像を造ることを祈願して、諸国を旅して造仏を続けました。現在全国で五千体余、市内にはその半数近い六〇体余りが保存されています。正法院の円空仏は、県内で最初に発見された像です。
薬師如来立像は、丸材を半分に割り、丸い木肌の方を前面にして彫刻しています。体部を著しく省略した簡素な造りで、十二神将立像とは異なった雰囲気の像をなっています。
十二神将立像は、丸材を半分に割り、割った面に彫刻しています。この木取り法は、他地方の像には見られない本像独自のものです。(埼玉県教育委員会掲示(新編武蔵風土記稿より)
正法院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」