法華寺。さいたま市岩槻区飯塚にある臨済宗円覚寺派寺院

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法華寺。東国花の寺百ヶ寺

法華寺の概要

臨済宗円覚寺派寺院の法華寺は、霊雲山と号します。法華寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代末期の書状を有していることから、鎌倉時代に創建、法眼是徹を開山とするといいます。江戸期には、飯塚地内に香林寺や、阿弥陀堂・太子堂を擁していました。御醍醐天皇綸旨や足利尊氏御判御教書などの古文書は当寺の寺領安堵に関する書状で、埼玉県文化財に指定されています。東国花の寺百ヶ寺のアジサイです。

法華寺
法華寺の概要
山号 霊雲山
院号 -
寺号 法華寺
住所 さいたま市岩槻区飯塚1361
宗派 臨済宗円覚寺派
本尊 釈迦牟尼佛像
葬儀・墓地 -
備考 -



法華寺の縁起

法華寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代末期の書状を有していることから、鎌倉時代に創建、法眼是徹を開山とするといいます。江戸期には、飯塚地内に香林寺や、阿弥陀堂・太子堂を擁していました。御醍醐天皇綸旨や足利尊氏御判御教書などの古文書は当寺の寺領安堵に関する書状で、埼玉県文化財に指定されています。

新編武蔵風土記稿による法華寺の縁起

(飯塚村)
法華寺
禅宗曹洞派、相州鎌倉圓覺寺末、靈雲山と號す、本尊觀音を安ず、開山是徹寂年を傳へず、古き文書數通を蔵せり、舊地なることは論なけれど、總て其の来由を失う、
(文書二通の文面省略)
此二通の文によりて考ふるに、當所寺領の事元弘三年綸旨を下し賜へども、戰爭の頃なればとにかく、己がまゝなること多く、寺域穏ならざるにより、是徹がこひに任せ、建武元年尊氏より關東管領上杉伊豆守憲顯へ、其災を鎮めんことを命ぜられしものと見えたり、遥の後岩槻太田氏の頃までも、寺領ありし事知らる、其文書左の如、
飯塚之内法華寺門前諸公事、幷棟別諸勸進令停止畢、仍如件、
永禄九年丙寅十一月廿三日 氏資花押
飯塚法華寺領拾貫文春首座出候、寺内彼是可致輝麗山、手堅可申届者也、仍如件、
天正十四年丙戌十一月廿九日、伊達與兵衛
春首座
飯塚之内法華寺門前諸公事、幷棟別諸勸進、任證文令停止畢、仍如件、
天正拾五年丁亥十月十八日、伊達與兵衛奉之
法華寺
鐘樓。延享二年鑄造の鐘をかく(新編武蔵風土記稿より)


法華寺所蔵の文化財

  • 法華寺文書(埼玉県指定文化財)

法華寺文書

法華寺は、鎌倉時代頃迄に創建された臨済禅の古刹である。
この寺に伝えられた古文書の内、中世から近世初頭のもの九点が指定されている。時代別の内訳は、建武新政期二点、戦国時代三点、江戸時代初期四点で、いずれも寺領や寺の特権に関する内容である。
法華寺と時の権力者との関わりを示す貴重な資料である、中でも元弘三年(一三三三)十二月十二日御醍醐天皇綸旨と建武元年(一三三四)二月六日の足利尊氏御判御教書の二点は、県内でも数少ない建武新政期の古文書である。(さいたま市教育委員会文化財保護課掲示より)

法華寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」