大門宿脇本陣表門。さいたま市緑区大門にある旧跡・名所
大門宿脇本陣表門の概要
大門宿脇本陣表門は、さいたま市緑区大門にある名所旧跡です。大門宿脇本陣表門は、日光御成道の宿駅大門宿に設置されていた脇本陣の表門で、安永5年(1776)の徳川家治(十代将軍)の日光社参にあわせて建立されたと考えられています。大門宿は、もともと大門村だったものの、元禄年間頃鳩ヶ谷宿の願いにより当地が宿驛となったことから、大門町さらに大門宿と改名していったと新編武蔵風土記稿にあります。
旧跡・名所名 | 大門宿脇本陣表門 |
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みどころ | 市指定文化財 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | さいたま市緑区大門 |
備考 | - |
大門宿脇本陣表門の縁起
大門宿脇本陣表門は、日光御成道の宿駅大門宿に設置されていた脇本陣の表門で、安永5年(1776)の徳川家治(十代将軍)の日光社参にあわせて建立されたと考えられています。大門宿は、もともと大門村だったものの、元禄年間頃鳩ヶ谷宿の願いにより当地が宿驛となったことから、大門町さらに大門宿と改名していったと新編武蔵風土記稿にあります。
大門宿脇本陣表門
大門宿脇本陣表門
大門宿は、日光御成道の宿駅で、本陣一、脇本陣一、旅籠六軒がありました。ここは、脇本陣で、本陣がはす向かいにあります。
この表門は、寄棟造、茅葺きで、「立隠れ」(門構えが半間引込む)、くぐり戸のある長屋門です。間口十六・〇〇メートル、奥行き四・六〇メートルと、ほぼ本陣表門と同規模ですが、本陣の壁が大壁で縦格子窓付きの番所があるのに対し、ここは、真壁で番所がなく、窓は横に菱子が走るなど、本陣と比べるとやや簡略化されています。
この表門の建立年代は明らかになってはいませんが、安永五年(一七七六)の徳川家治(十代将軍)の日光社参にあわせて建てられたものと考えられています。この時に、しんがりを勤めた姫路藩主酒井忠以が往路ここに宿泊をし、帰路には、磐城平藩主安藤信成がここで休止をしました。
なお、当時の記録には「西御本陣」「西本陣」などを記されています。
この門は、本陣表門とともに、大門宿の往時の姿を伝える遺構として、大変貴重なものです。(さいたま市教育委員会掲示より)
大門宿脇本陣表門の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」