四所神社。さいたま市岩槻区尾ヶ崎の神社

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四所神社。神功皇后と住吉三神を祀る社

四所神社の概要

四所神社は、さいたま市岩槻区尾ヶ崎にある神社です。四所神社の創建年代等は不詳ながら、当地周辺が海辺だった頃に海上交通の神として勧請されたと伝えられ、かつては新和小学校地に鎮座し、二本の松の巨木が目印となっていたといいます。新和小学校の増築に際し昭和25年当地へ遷座して以降、参詣者もなく廃れてしまい、尾ヶ崎の半縄地区だけで祀られています。

四所神社
四所神社の概要
社号 四所神社
祭神 神功皇后
相殿 底筒男命、中筒男命、上筒男命
境内社 -
住所 さいたま市岩槻区尾ヶ崎1262-1
祭日 例祭4月3日、宮薙7月14日
備考 -



四所神社の由緒

四所神社の創建年代等は不詳ながら、当地周辺が海辺だった頃に海上交通の神として勧請されたと伝えられ、かつては新和小学校地に鎮座し、二本の松の巨木が目印となっていたといいます。新和小学校の増築に際し昭和25年当地へ遷座して以降、参詣者もなく廃れてしまい、尾ヶ崎の半縄地区だけで祀られています。

新編武蔵風土記稿による四所神社の由緒

(尾ヶ崎村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による四所神社の由緒

四所神社<岩槻市尾ヶ崎一二六二-一(尾ヶ崎字半縄)>
尾ヶ崎は、岩槻台地の先端部に当たり、その周囲には見渡す限り水田が広がっている。岩槻台地の周辺には、「崎」「浜」など、昔はそこが海辺であったことを示すと伝えられる地名が多く見られるが、尾ヶ崎もその一つで、水田の広がる当たりは、むかしは海であったといわれている。当社は、この辺りがまだ海であったころ、海上交通の神として勧請された社で、舟で旅をする人々を守護してくれたといわれ、その当時、この付近を舟で通る時はここで一旦上陸し、当社に参拝してからまた舟に乗り込んで旅を続けたと伝えられる。
この伝承は当社の古社たることを物語っているが、近世末までの当社についての史料はなく、『風土記稿』にも当社について何も記されていない。しかし、境内に生えていた大きな二本の松は遠く越谷の方からもはっきりと分かるほどであり、陸上を通る人々にとっても当社は位置を知るための目印として重要な役割を果たしたものであろう。
当社の境内は、元は新和小学校の敷地内(現在の資料館がある辺り)にあったが、昭和二十五年、新和小学校の増築の際、学校の敷地内に神社があるのは好ましくないとの理由から当社はその裏手の山林の中へと移転を余儀なくされ、旧地には学校の渡り廊下が建設された。この移転の後、当社はその存在が次第に知られなくなり、今では訪れる人もほとんどなく、はやしのなかにひっそりと鎮座している。(「埼玉の神社」より)


四所神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)