円阿弥日枝神社。さいたま市中央区円阿弥の神社

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円阿弥日枝神社。比企郡野本の野本氏が土着の際に勧請

円阿弥日枝神社の概要

円阿弥日枝神社は、さいたま市中央区円阿弥にある神社です。円阿弥日枝神社は、岩付城落城後に当地に移り住んだ比企郡野本村(現東松山市)の野本氏が、本貫地の日枝大神(寛文2年1662年創建)を勧請して、江戸時代中期頃(延宝5年1677年か?)に創祀したのではないかといいます。

円阿弥日枝神社
円阿弥日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大山咋神
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市中央区円阿弥5-1
祭日 -
備考 -



円阿弥日枝神社の由緒

円阿弥日枝神社は、岩付城落城後に当地に移り住んだ比企郡野本村(現東松山市)の野本氏が、本貫地の日枝大神(寛文2年1662年創建)を勧請して、江戸時代中期頃(延宝5年1677年か?)に創祀したのではないかといいます。

「埼玉の神社」による円阿弥日枝神社の由緒

日枝神社(与野市円阿弥)
円阿弥の地名は、戦国期岩付城(現岩槻市)城主太田氏虜の家臣円阿弥が当地を領有し居住したことによるという。
江戸期に当地の名主を務めた野本家は、口碑によれば、もと比企郡野本村(現東松山市)の在地武士で、岩付城主太田氏の家臣であったが、岩付城落城後に当地に移り住んだという。野本氏の本貫である野本村には、寛文二年(一六六二)の創建と伝えられる日枝大神社が鎮座している。また、現在、野本家に残る延宝五年(一六七七)の棟札には「奉遷山王権現御宝前 野本氏豊治郎」とあり、ほかに惣氏子の名前が記されている。このようなことから勘案するに、野本氏が本貫である野本村から日枝神社の分霊を勧請し、やがて村の鎮守として祀られるようになったものと推測される。恐らく、右の棟札は村の鎮守として遷宮されたことを記す史料ではなかろうか。
元禄三年(一六九〇)の「武蔵国足立郡円阿弥村屋敷御検地水帳」の中に除地として「一、三王宮地三畝六歩 同寺(円命寺)抱」との記載があり、真言宗延命寺が当社の別当を務めていたことがわかる。同寺は、元禄のころに他所から当社の付近に移って来たと伝えられ、当社のすぐ西側には元禄十三年(一七〇〇)の「開山阿閣梨成誉法印□位」と刻んだ墓石がある。更に、神仏分離を経て明治四年に廃寺となった。現在、当社境内の西隅にある延命堂がその名残である。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による円阿弥日枝神社の由緒

(圓阿弥村)
山王社
是も村民の持なり
天神稲荷合社
延命寺
新義真言宗、植田谷本村林光寺の末、如法山と號す、地蔵を本尊とせり。(新編武蔵風土記稿より)


円阿弥日枝神社所蔵の文化財

  • 正野友三郎一門奉納の算額(市指定文化財)

正野友三郎一門奉納の算額

正野友三郎(一八二三〜一八六八)は、和算家として埼玉県を代表する数学教育者です。和算は江戸時代、庶民に広く根を下ろし独自の発展をとげた数学です。和算家は高度な問題を解くと算額(額絵馬)にして社寺に奉納しました。
この算額は慶応二年(一八六六)奉納のもの。二等辺三角形中の「甲円」と「外円」の直径を求めたものです。
平成七年(一九九五)一月二十日市指定となる。(与野市教育委員会掲示より)

円阿弥日枝神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)