遠山八幡神社。比企郡嵐山町遠山の神社

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遠山八幡神社。比企郡嵐山町遠山の神社

遠山八幡神社の概要

遠山八幡神社は、比企郡嵐山町遠山にある神社です。遠山八幡神社の創建年代等は不詳ながら、小田原北条氏の家臣で小倉城主だった遠山右衛門太夫光景が当地の領主だったことや、隣接する遠山寺は遠山右衛門太夫光景が開基したとされることから、遠山右衛門太夫光景が関わりがあると推測されています。江戸期には村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格していました。

遠山八幡神社
遠山八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 大黒天、聖徳太子
祭日 春祭り4月3日、秋祭り10月15日、フセギ行事7月18日前後
住所 比企郡嵐山町遠山263
備考 -



遠山八幡神社の由緒

遠山八幡神社の創建年代等は不詳ながら、小田原北条氏の家臣で小倉城主だった遠山右衛門太夫光景が当地の領主だったことや、隣接する遠山寺は遠山右衛門太夫光景が開基したとされることから、遠山右衛門太夫光景が関わりがあると推測されています。江戸期には村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による遠山八幡神社の由緒

(遠山村)
八幡社
村の鎮守たり、遠山寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による遠山八幡神社の由緒

八幡神社<嵐山町遠山二六三(遠山字蛇跡)>
遠山の地は山間の盆地である。地名は他地域との交通が不便で、周囲から隔たった遠い山中の意に由来する。当地の南西方、槻川を隔てた丘陵上には戦国期、小田原北条氏の家臣遠山右衛門太夫光景の居城と伝える小倉城跡がある。当地も同氏の所領であった。
当社はこの遠山氏にかかわる社と考えられ、隣接する曹洞宗遠山寺は天正八年(一五八〇)に光景が父政景の追福のために中興開基したと伝えられている。当社もこのころには既に祀られていたものであろう。ちなみに北条氏滅亡後、遠山氏の子孫は山下を名乗ってこの地に土着したと伝える。
『風土記稿』には「八幡社村の鎮守なり、遠山寺持」と記されている。最も古い史料としては「八幡宮増成就・宝永六年(一七〇九)十二月廿日・武州比企郡遠山村」と刻む石碑が残されており、この年に参道石段を築いたことがわかる。
神仏分離によって遠山寺の管理下から離れた当社は、明治四年に村社となった。
平成二年には念顕であった社殿の再建が行われた。(「埼玉の神社」より)


遠山八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)