松原八幡神社。桶川市川田谷の神社

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松原八幡神社。山崎・岡崎・田崎の三家が背負ってきた神体

松原八幡神社の概要

松原八幡神社は、桶川市川田谷にある神社です。松原八幡神社は、山崎・岡崎・田崎の三家が落ち武者となって当地に土着、背負ってきた八幡の神体を祀ったといい、騎乗の八幡大明神像や「八幡宮御奉前下川田谷村」銘の金幣が奉安されているといいます。明治維新後の社格制定に際しては無格社とされたといいます。

松原八幡神社
松原八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 八坂社、天神社、大黒天
祭日 例大祭9月15日
住所 桶川市川田谷1329
備考 -



松原八幡神社の由緒

松原八幡神社は、山崎・岡崎・田崎の三家が落ち武者となって当地に土着、背負ってきた八幡の神体を祀ったといい、騎乗の八幡大明神像や「八幡宮御奉前下川田谷村」銘の金幣が奉安されているといいます。明治維新後の社格制定に際しては無格社とされたといいます。

新編武蔵風土記稿による松原八幡神社の由緒

(川田谷村)
八幡社
近き年村民社邊の地を穿ちしとき、圓徑七八寸許なる瓶二つを堀出せしが、其中に丹の丸せし如きもの納ありしと云、明器の類なるべければ墳墓ならん、村民の持。
-
八幡社
泉福寺持、下同じ。 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による松原八幡神社の由緒

八幡神社<桶川市川田谷一三二九(川田谷村字八幡)>
口碑によると、当社は鎌倉の三崎が落武者となって川田谷の各所に土着し、背負って来た八幡様の御神体を祀ったのに始まる。三崎とは山崎・岡崎(のち磯田姓)・田崎の三家を指し、山崎家が薬師堂に、岡崎家が田向に、田崎家が松原にそれぞれ居を構えたという。このうち、田崎家は御神体を背負ってきた縁で、近年まで「鍵元」と称して当社の扉の鍵を所持していたほか、当社の正月飾りなどをする役を担っていた。同家は当社の東北三〇〇メートルほど離れた所にあり、屋敷に大人三人抱えもある杉の大木がそびえていたことにちなんで「一本杉」の屋号で呼ばれる。
現在、本殿には、先の口碑に伝えられている神体とされる騎乗の八幡大明神像(全高四五センチメートル)と、「八幡宮御奉前下川田谷村」と墨書される金幣が奉安されている。ほかに、元禄十一年(一六九八)に領主牧野氏から奉納された神鏡(牧野氏の家紋「三つ柏」が刻まれる)や享和二年(一八〇二)に龍泉谷実顕により揮毫された「八幡宮」の社号額があり、いずれも当社の歴史を語る貴重な史料として大切にされている。
明治初年の社格制定に際して、当社は無格社とされた。下って昭和五十二年に社殿を再建した。
祭神は誉田別尊である。(「埼玉の神社」より)


松原八幡神社所蔵の文化財

  • 松原の簓獅子舞

松原の簓獅子舞

松原の簓獅子舞は、毎年九月十五日に行われる八幡神社の祭礼において奉納されている。この獅子舞は、戦時中から昭和四十年代まで一時中断していたが、地元の若者、有志によって復活し、現在に至っている。
本来は、旧暦八月十五日夜の日に演じられ、十二の場によって構成されていたという。現在では、短縮されてはいるが、囃子によって舞の庭に獅子を迎え入れることや、「草むしり獅子」と呼ばれるほど低い姿勢で舞う姿に、松原の獅子舞ならでわの味わいがある。
また、祭礼では、「万作踊り」、「はやし」、「げんた踊り」も上演されている。万作踊は、簓獅子舞の合間に演じられており、戦前には獅子舞と同様に男性がその担い手であったが、戦後は女性を中心として演じられるようになり、近年ますます盛んとなっている。(埼玉県・桶川市掲示より)

松原八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)