上日出谷氷川神社。桶川市上日出谷の神社

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上日出谷氷川神社。桶川市上日出谷の神社

上日出谷氷川神社の概要

上日出谷氷川神社は、桶川市上日出谷にある神社です。上日出谷氷川神社の創建年代などは不詳ながら、旧別当の知足院が正応年間(1288-1293)の創建と伝えられることから、その頃の創建ではないかといいます。明治6年村社に列格しています。

上日出谷氷川神社
上日出谷氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 桶川市上日出谷13
備考 -



上日出谷氷川神社の由緒

上日出谷氷川神社の創建年代などは不詳ながら、旧別当の知足院が正応年間(1288-1293)の創建と伝えられることから、その頃の創建ではないかといいます。明治6年村社に列格しています。

新編武蔵風土記稿による上日出谷氷川神社の由緒

(上日出谷村)
氷川社
村の鎮守なり、社邊松杉生茂れり、其圍み一丈餘の古松あり、金松と云、由来は知らず、斧斤を加ふれば必災あり、下日出谷村知足院持、下四社同。

山王社
愛宕社
天王社
七所社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上日出谷氷川神社の由緒

氷川神社<桶川市上日出谷一三(上日出谷字宮)>
上日出谷と下日出谷は、元は一村であったが、慶安三年(一六五〇)に当時この地を領していた牧野信成の死によって領地が分割された際上下二村に分かれたものと推測される。当社は、この上下の日出谷の境に位置し、『風土記稿』上日出谷村の項にも「村の鎮守なり、社辺松杉生茂れり、其囲み一丈余の古松あり、金松と云、由来は知らず、斧斤を加ふれば必災あり、下日出谷村知足院持」と載っている。ちなみに、この記事に見える「金松」は、本殿の後方にあった神木のことと思われるが、既に枯死しており、今では根株を残すのみである。
当社の創立の時期は明らかではないが、こうした江戸時代における境内の状況や、別当であった知足院は正応年間(一二八八-九三)創立の真言宗の古刹と伝えられることなどから、鎌倉時代末期から室町時代にかけての創立ではないかと思われる。また、本殿には表に「正一位氷川大明神幣帛」裏に「寛政七年(一七九五)八月三十日神祇管領卜部良具」と墨書された神璽筥が納められている。
台地の先端に位置し、南・西・東の三方を低地に囲まれた当社の杜は、遠方からもよく望見できる。かつては鳥居の右手に「氷川様の池」と呼ばれる広さ一〇畳ほどの湧水池があり、渇水時には、新しい水がよく湧き出すようにと神職が祈願した後に村中総出で池の水を掻い出して雨乞いをしたが、これも台地上の天水場ゆえの苦労話である。(「埼玉の神社」より)


上日出谷氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)