養昌寺。比企郡小川町下横田にある曹洞宗寺院

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養昌寺。領主久松彦左衛門が開基

養昌寺の概要

曹洞宗寺院の養昌寺は、横田山と号します。養昌寺の創建年代等は不詳ながら、住職六代にわたって時宗寺院だったとも伝えられ、江戸期の元禄12年(1699)に当地の領主久松彦左衛門が開基となり、文殊寺16世玉峰応琢和尚(享保10年1725年寂)が曹洞宗寺院として開山したといいます。

養昌寺本堂
養昌寺の概要
山号 横田山
院号 -
寺号 養昌寺
本尊 釋迦牟尼佛像
住所 比企郡小川町下横田600
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



養昌寺の縁起

養昌寺の創建年代等は不詳ながら、住職六代にわたって時宗寺院だったとも伝えられ、江戸期の元禄12年(1699)に当地の領主久松彦左衛門が開基となり、文殊寺16世玉峰応琢和尚(享保10年1725年寂)が曹洞宗寺院として開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による養昌寺の縁起

(下横田村)
養昌寺
曹洞宗、男衾郡野原村文殊寺末、横田山と號す、開山玉峯應琢享保十年三月八日示寂す、本尊釋迦を安ぜり、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による養昌寺の縁起

養昌寺(下横田六〇〇)
養昌寺は、横田山と号し、曹洞宗に属する寺院である。江戸時代は、男衾郡野原村(現江南町)文殊寺の末であった。本尊の釈迦牟尼仏は、上横田の輪禅寺から移されたもので、仏師運阿弥が奉興したものと伝えられる。このほか、本堂には、廃寺になった上横田の満願寺という天台宗の寺院の本尊であった行基作と伝えられる大日如来像も安置されている。
寺伝によれば、養昌寺は元禄十二年(一六九九)三月二十八日、当地の領主であった久松彦左衛門が開基となって創立したもので、本尊である釈迦像の背面には「領主久松家武州比企郡松山庄横田村云々」と朱字で記されている。開山は、本山である文殊寺の一六世玉峰応琢和尚で、享保十年(一七二五)三月十八日に没している。
また、養昌寺は、古くは住職六代に渡って時宗の寺院であったという。しかし、時宗であった時期の寺歴は、「長吟宗久和尚元禄六発酉(一六九三)六月二十六日没」との記録があるのみで、明らかでない。こうしたことから考えると、養昌寺は、時宗の寺院であったが、領主によって曹洞宗の寺院として中興されたものであろう。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


養昌寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」