三光神社。比企郡小川町木部の神社

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三光神社。武蔵七党児玉党の一族竹沢氏が妙見社を勧請

三光神社の概要

三光神社は、比企郡小川町木部にある神社です。三光神社の創建年代等は不詳ながら、武蔵七党児玉党の一族竹沢氏の子孫が、妙見社と称して創建したと伝えられます。妙見社が祀られた経緯は不詳ながら、「妙見様は三姉妹で、長女は木部の三光神社、次女は安戸の身方神社、三女は秩父神社である」と伝承されており、秩父神社(旧妙見社)の妙見信仰が伝幡したものと推定されています。江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治維新後の神仏分離により三光神社と改号、社号の由来については「日・月・星を祀る」からとも、三神を祀るからともいいます。

三光神社
三光神社の概要
社号 三光神社
祭神 大日孁貴命、月夜見命、国常立尊
相殿 -
境内社 稲荷社、手長男社、聖天社
祭日 例祭10月15日前後の日曜日
住所 比企郡小川町木部458
備考 -



三光神社の由緒

三光神社の創建年代等は不詳ながら、靱負を本拠とした中世の豪族・武蔵七党児玉党の一族竹沢氏の子孫が、妙見社と称して創建したと伝えられます。妙見社が祀られた経緯は不詳ながら、「妙見様は三姉妹で、長女は木部の三光神社、次女は安戸の身方神社、三女は秩父神社である」と伝承されており秩父神社(旧妙見社)の妙見信仰が伝幡したものと推定されています。江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治維新後の神仏分離により三光神社と改号、社号の由来については「日・月・星を祀る」からとも、三神を祀るからともいいます。末社の手長男社は天保8年(1837)の勧請、聖天社は旧根岸家の氏神です。

境内掲示による三光神社の由緒

三光神社は、建久年間(一一九〇~)奥州大河兼任の乱に際して活躍し、その後も武蔵荘園の武士として鎌倉幕府の基礎となってきた、児玉党(武蔵七党の一つ)の一族竹沢氏の子孫が創建したと伝えられている。
江戸時代までは、妙見社といわれ北辰妙見大菩薩を祀っていたが、明治初年の神仏分離により、日・月・星を祀る三光神社と改称している。
古くは、うろこぶきの神明造りの神殿であったが、明治二年に再建された。また、本堂上屋並に拝殿は、昭和二十六年に建てられたものである。(埼玉県・小川町掲示より)

新編武蔵風土記稿による三光神社の由緒

(男衾郡竹澤木部村)
妙見社
村の鎮守なり、村持、
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聖天社
村民持、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による三光神社の由緒

三光神社(木部四五八)
木部の三光神社は、一般に「妙見様」として知られているように、元来は、妙見社と称し、杜伝によれば、武蔵七党児玉党の支族で靭負を本拠地とした豪族の竹沢氏が創建した杜であるという。それが、神仏分離によって三光神社と改称されたのであるが、この社号は改めて祭神に定められた大日孁貴命・月夜見命・国常立命の三柱の神にちなむものである。
一方、東秩父村の安戸に鎮座する身形神社も、神仏分離までは妙見社と称していたが、同社には「「妙見様は三姉妹で、長女は小川町木部の三光神社、次女は安戸の身形神社、三女は秩父神社である」との伝えがある。この伝えや、秩父方面との交通の要所に妙見杜が祀られている例が多いことから、木部における妙見社の創建は、秩父神社を中心とした妙見信仰の伝播によるものと推測されている。
また、境内に建つ「三光社境内植林志」と題する石碑(昭和四十五年建立) によれば、神社が荒廃したため、明治八年に氏子らが拝殿の屋根を直すために境内の樹木をほとんど伐採したため、氏子の柳喜三郎さんが境内に杉を植林した旨が記されている。(「小川町の歴史別編民俗編」より)

「埼玉の神社」による三光神社の由緒

三光神社<小川町木部四五八(木部字妙見沢)>
木部は兜川の支流木部川流域の山間地に位置する。当社はこの木部の地内の字妙見沢と呼ばれる地に鎮座している。小名は、当社がかつて妙見社と号していたのにちなんで傍らの沢を妙見沢と名付けたことに由来する。
社伝によると、当社の創建は児玉党の竹沢氏の子孫により行われたという。竹沢氏は大字靱負を本拠とした中世の豪族で、正平十三年(一三五八)に竹沢右京亮が足利基氏と謀って新田義興を矢口の渡しで謀殺したことで知られている。
一方、同じく妙見社(現身形神社)を鎮守とする東秩父村安戸には「妙見様は三姉妹で、長女は小川町木部の三光神社、次女は安戸の身形神社、三女は秩父神社である」との伝承が残されている。この伝えは、妙見信仰の系譜を物語るものとして重要である。秩父地方の妙見信仰は、秩父神社を中心として盛んで、俗に妙見七社といわれ、秩父神社の分社を郡境の交通の要所七か所に祀り、攘災の守り神とした。そのうちの一社が東秩父村安戸の妙見社である。当社の境内に接して走る道は安戸方面に抜ける古い道筋で、安戸から更に粥新田峠・定峰峠を経て秩父に至っており、この道を伝って妙見信仰が当地に伝播してきたことは想像に難くない。
『風土記稿』には「妙見社 村の鎮守なり、村持」とある。(「埼玉の神社」より)


三光神社所蔵の文化財

  • 三光神社の大スギ(小川町指定天然記念物)

三光神社の大スギ

三光神社は、一般に「妙見様」として知られていますが、元来は妙見社と称し、明治維新の神仏分離によって三光神社と改称されました。東秩父村の安戸に鎮座する身方神社も、新仏分離までは妙見社と称しており、同社には、「妙見様は三姉妹で、長女は木部の三光神社、次女は安戸の身方神社、三女は秩父神社である」との伝えがあります。
神社本殿を囲む社叢の中でひときわ目立つ大スギは、目通り4.6m、樹高35.1mを測り、御神木として、地元の信仰を集め愛護されています。
スギは比較的湿潤な土地を生育の好適地とし、神社の社叢は小さな沢に接する山裾にあることから、スギの生育に適した立地であるといえます。また、本殿左後方のスギ林の中にスダジイ・アラカシの高木が各一本ずつあります。(小川町教育委員会掲示より)

三光神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「小川町の歴史別編民俗編」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)