中野薬師堂。新座市中野にある寺院

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中野薬師堂。新座市中野にある寺院

中野薬師堂の概要

中野薬師堂は、新座市中野にある薬師堂です。中野薬師堂の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「薬師堂。中野村の内街道の南にあり」と記載され、中野にあった熊野神社の例祭も薬師堂から始まり薬師堂で仕舞っていたそうで、村持ちの堂宇であったことが窺えます。近くにあった龍泉寺は、地蔵堂とも俗称されていたそうですが、主に普光明寺が管理していたこともあり、寺子屋としての性格が強かったようで、英橋インターチェンジ(昭和46年開通)工事に伴い取り壊され、仏像などは薬師堂に移されています。

中野薬師堂
中野薬師堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 薬師堂
住所 新座市中野1-2
宗派
葬儀・墓地 -
備考 -



中野薬師堂の縁起

中野薬師堂の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「薬師堂。中野村の内街道の南にあり」と記載され、中野にあった熊野神社の例祭も薬師堂から始まり薬師堂で仕舞っていたそうで、村持ちの堂宇であったことが窺えます。近くにあった龍泉寺は、地蔵堂とも俗称されていたそうですが、主に普光明寺が管理していたこともあり、寺子屋としての性格が強かったようで、英橋インターチェンジ(昭和46年開通)工事に伴い取り壊され、仏像などは薬師堂に移されています。

「新座市史調査報告書9大和田の民俗」による中野薬師堂の縁起

龍泉寺
かつての龍泉寺は客殿と庫裏の二つの部屋に分かれていた。この客殿は地蔵堂とも言われ、現在薬師堂共同墓地の入口にある地蔵が本尊として入っていた。庫裏には炉も切ってあったが、これは後に薬師堂に移された。(中略)
龍泉寺は、英橋インターチェンジが建設(昭和50年2月)される前に取り払われた。その後、公民館として別の場所につくられたのが今の中野会館である。
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薬師堂
中野の薬師堂には僧侶は住んでいない。内部には、薬師様や閻魔様がまつってある。この薬師様は目の神様であるので、目が悪くなると拝みに行ったり、目を描いた絵馬を奉納したりするので絵馬が多数あった。またここには共同墓地があるので、盆や彼岸などにもお参りする。なお、薬師堂の入口の間には、皿や太鼓、講中の紋付半纏等の入った木箱が置いてある。(「新座市史調査報告書9大和田の民俗」より)

新編武蔵風土記稿による中野薬師堂の縁起

(大和田町)
小名:中野村 柳瀬川を隔て入間郡に接する處なり、土人は別村の如く唱ふれど、其實は村内の小名なり
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龍泉寺
中野村の内街道の南にあり、流水山と云、新義真言宗、當町普光明寺の末、客殿八間に三間庫裡も一つ棟なり、開山開基詳ならず、法印権大僧都榮賢延寳六年十月十日法主祐典とありたる石碑あれば、延寳前造立の地なることしるべし。
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薬師堂
同所(中野村の内街道の南)にあり。
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地蔵堂
是も同所にあり。(新編武蔵風土記稿より)


中野薬師堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿