山田淡洲神社。比企郡滑川町山田の神社

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山田淡洲神社。比企郡滑川町山田の神社

山田淡洲神社の概要

山田淡洲神社は、比企郡滑川町山田にある神社です。山田淡洲神社は、大雷淡洲神社と同じく応永2年(1395)の創建と伝えられ、山田村の鎮守として祀られていたといいます。宝永7年(1710)に式内社紀州加太神社(淡洲神社)を改めて勧請、上山田地区の鎮守となっていました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年字大沼に鎮座していた八雲神社を合祀しています。

山田淡洲神社
山田淡洲神社の概要
社号 淡洲神社
祭神 誉田和気命、息長足日売命、素戔嗚命
相殿 -
境内社 天神社、御嶽山大神
祭日 禦祭5月1日、夏祭7月14日、秋祭10月16日
住所 比企郡滑川町山田765
備考 -



山田淡洲神社の由緒

山田淡洲神社は、大雷淡洲神社と同じく応永2年(1395)の創建と伝えられ、山田村の鎮守として祀られていたといいます。宝永7年(1710)に式内社紀州加太神社(淡洲神社)を改めて勧請、上山田地区の鎮守となっていました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年字大沼に鎮座していた八雲神社を合祀しています。

境内掲示による山田淡洲神社の由緒

当社は神功皇后が三韓鎮定に大功があったのを里民尊崇して此の地に神霊を奉斎したと伝承される。神社所蔵の古書によれば創建の年代は応永二(西暦一三九五)とあり、往古は邑の総鎮守であったと云う。
明治四年村社の格に列す。
境内地は五七七坪あり老樹が茂り古社の風格を漂わせている。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による山田淡洲神社の由緒

(山田村)
淡洲明神社
村の鎮守なり、東光寺持、下二社も同じ、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による山田淡洲神社の由緒

淡洲神社<滑川町山田七六六(山田字宮前)>
当地は滑川左岸の駅開谷の低地と丘陵部に位置し、山田の地名は、この開析谷に聞かれた田に由来する。古来、水利が悪く、地内には天水を貯え耕作に供した溜池が多く点在しでいる。
当社の創建は『明細帳』によると、「勧請年紀不詳、往古紀州神社御分霊ト言伝而已尤モ宝永七年(一七一〇)三月霊代ヲ改メテ鎮守たり」とある。この紀州神社とは、元の和歌山県海部郡加太町鎮座の式内社加太神社と思われる。俗に淡島明神と称し、近世になり「淡島の願人」と呼ばれる者たちが、淡島様の功徳縁起を説いて諸国を回り、関東にもその信仰が広まっていた。こうした背景により当社も勧請されたものであろう。また、当社内陣には、「正一位阿和能須大明神宝永七年庚寅九月吉日武州比企郡上山田村鎮守」と記された金幣が奉安されており、「霊代ヲ改メテ」の記載は正一位の神位拝受を機に金幣が納められたことを示している。
別当は東光寺であった。同寺は医王山瑠璃光院と号した天台宗の寺院であったが、明治初年の神仏分離により廃寺となり、現在では当社の南方に小さな堂が建つのみとなっている。
明治四年に村社となり、同四十年七月には字大沼に鎮座する無格社八雲神社を本殿に合祀した。昭和二十七年、拝殿の造営に伴い本殿並びに幣殿も大修理を行っている。(「埼玉の神社」より)


山田淡洲神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)