円明院。三郷市彦成にある真言宗豊山派寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

円明院。三郷七福神の弁財天、武蔵国三十三ヶ所霊場

円明院の概要

真言宗豊山派寺院の円明院は、長江山聖伝寺と号します。円明院は、永正年間(1504-1521)に祐円が開山、祐日法印が天文3年(1534)中興したといいます。徳川家康の関東入国後には、関東郡代伊奈備前守忠次より一町歩の寺領を与えられ、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領10石の御朱印状を受領、近隣に39ヶ寺の末寺門徒寺を擁していた中本寺格の寺院でした。三郷七福神(彦成めぐり)の弁財天、武蔵国三十三ヶ所霊場12番、西新井組中川通四箇領八十八箇所51番です。

円明院
円明院の概要
山号 長江山
院号 円明院
寺号 聖伝寺
本尊 薬師如来像
住所 三郷市彦成1-179-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



円明院の縁起

円明院は、永正年間(1504-1521)に祐円が開山、祐日法印が天文3年(1534)中興したといいます。徳川家康の関東入国後には、関東郡代伊奈備前守忠次より一町歩の寺領を与えられ、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領10石の御朱印状を受領、近隣に39ヶ寺の末寺門徒寺を擁していた中本寺格の寺院でした。

新編武蔵風土記稿による円明院の縁起

(彦成村)圓明院
新義真言宗、長江山聖傳寺と號す、下総國葛飾郡鰭ヶ崎村東福寺末、中頃山城國醍醐三寳院末となりしが、后また本に復せり、末寺十三ヵ寺門徒二十六ヶ寺を支配す、寺記中に延宝の頃彦名山と書すものあり、是古名なりと云、寺領十石の御朱印は慶安元年九月十七日賜ふ所なり、下に載する慶長六年の文書によれば、當時新開せし地を賜りしこと知らる、位牌に當寺中興第一世法印祐日當院先師と記し、過去帳には是を開山と書し、寂日を十五日と記すのみ、二世祐辨弘治四年六月三日寂、三世祐盛天正十五年正月十四日寂す、本尊不動は立像にして長三尺、興教大師の作と云。
什物。弘法大師画像一幅。大師自画の像とも、又兆殿司の画とも言傳ふ。
伊奈備前守忠次書一通。可被発新田之事。一豈町歩密厳院、一豈町歩延命寺、一豈町歩圓明院、以上。右於被為発者、御朱印申請、為御寺領遣可申に候也、仍如件、慶長六丑三月廿五日、伊奈備前守忠次花押、川邊三ヶ寺。
鐘楼。始て造りしは天正年中なり、今の鐘は宝暦十一年鋳せし所なり。
稲荷辨天合社。御朱印を賜はりし後、東照宮の御像を社内に置奉ると云。
愛宕社。
雷電社。境内にあれど別に除地あり。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県・三郷市掲示による円明院の縁起

円明院は、山号を長江山聖伝寺円明院と称し、下総国葛飾郡鰭ヶ崎村(現千葉県流山市鰭ヶ崎)東福寺の末寺として、永正年間(一五〇四〜一五二一)祐円によって開山された。
その後、山城国(現京都府)醍醐三宝院の末寺となったが、再び元に復した。
また、この寺は、末寺二十三か寺を支配し慶安元年(一六四八)江戸幕府より寺領十石の御朱印を賜り、この地方随一の名刹として聞こえが高かった。
なお、この寺所蔵の古文書には、慶長六年(一六〇一)関東郡代伊奈備前守忠次より、一町歩(約一ヘクタール)の寺領を賜ったことも記されている。
この寺の本尊は、薬師如来であるが、内陣にある木造不動明王立像がよく知られている。
この立像は、興教大師の作といわれ、鎌倉時代のものと考えられる。一木造玉眼で、材質は檜材、像高は八十七・五センチメートルで昭和五十五年、市の指定文化財となっている。
この他、寺には弘法大師画像があるが、大師の自画像とも、また兆殿司の画とも伝えられている。(埼玉県・三郷市掲示より)


円明院所蔵の文化財

  • 円明院木造不動明王立像一躯(市指定有形文化財)

円明院木造不動明王立像一躯

当山は長江山聖伝寺円明院と号し千葉県流山市鰭ヶ崎(旧下総国葛飾郡鰭ヶ崎)真言宗豊山派東福寺の末寺として永正年間祐円和尚にて開山された。中興の祖には祐日和尚天文三年(一五三四)である。当山は末寺二十三ヶ寺、門徒寺二十六ヶ寺を支配し慶長六年(一六〇一)、時の関東郡代伊奈備前守忠次より一町歩の御朱印地を賜わり慶安元年(一六四八)には江戸幕府より寺領十石の御朱印を賜わったこの地方随一の名刹であり俗に本寺と称しています。
当山の木造不動明王立像は興教大師(覚鑁上人)の作といわれ鎌倉時代の作と考えられます。立像は一木造、玉眼で檜材であり像高八十七・五センチメートルである。興教大師は嘉保二年(一〇九五)佐賀県鹿島市(旧肥前国)に誕生し仁和寺にて出家得度し南都や高野山で修学し密教の奥義を究め大伝法会を修せられ、大伝法院・金剛峰寺等の座主をつとめられた。真言宗中興の祖といわれております。覚鑁上人は元禄三年十二月二十六日、時の東山天皇より興教大師の諡号を賜わりました。(三郷市教育委員会掲示より)


円明院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿