吉屋香取神社。江戸時代初期の元和2年創建
吉屋香取神社の概要
吉屋香取神社は、吉川市吉屋にある神社です。吉屋香取神社は、関東郡代伊奈氏に従っていた右馬助が当地に土着、慶長年間(1596-1615)より開発され、元和2年(1616)に創建したといいます。延宝2年(1674)に村名が右馬助新田から吉屋新田となり、元禄11年(1698)にはさらに吉屋村と改名、江戸期を通じて村の鎮守として祀られていました。明治41年に水神社を、当社境内へ遷しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷、疱瘡、水神、天神、猿田彦大神 |
祭日 | お歩射1月3日 |
住所 | 吉川市吉屋1-7 |
備考 | - |
吉屋香取神社の由緒
吉屋香取神社は、関東郡代伊奈氏に従っていた右馬助が当地に土着、慶長年間(1596-1615)より開発され、元和2年(1616)に創建したといいます。延宝2年(1674)に村名が右馬助新田から吉屋新田となり、元禄11年(1698)にはさらに吉屋村と改名、江戸期を通じて村の鎮守として祀られていました。明治41年に水神社を、当社境内へ遷しています。
新編武蔵風土記稿による吉屋香取神社の由緒
(吉屋村)
香取社
村の鎮守なり、
末社。稲荷、水神
別當法教院。羽黒行人派出羽國羽黒山法善院末、香取山と號す、本尊不動、
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水神社
浄幽寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による吉屋香取神社の由緒
香取神社<吉川町吉屋一-七ニ(吉屋字上耕地)>
鎮座地である古屋の地名は湿地帯で葦が多く生えていたことに由来するという。村の開発は、慶長年中(一五九六-一六一五)といわれ、関東郡代伊奈氏に従う右馬助という者が行ったと伝える。
このため、当初、右馬助新田といわれたが、延宝二年(一六七四)に吉屋新田となり、元禄十一年(一六九八)には吉屋村となった。
当社は、村の北西に鎮座し、その創建は『明細帳』に元和二年(一六一六)とあり、村の開発とほぼ年代を同じくして祀られている。
祭神は経津主命で、内陣には香取大明神像と神璽が安置されている。神璽筥には、「正一位香取大明神」「文政十一年(一八二八)正月 関新田村主 世話人斎藤長門 当村名主五郎兵衛 年寄 次郎左衛門 勝右衛門 八郎衛門 氏子中」とあり、正一位の神位を奉授された際に納められたものである。
別当は、羽黒行人派出羽国羽黒山法善院末の香取山法教院で、当社西側に屋敷を構えていたが、神仏分離により転出した。その後、法教院の跡に新たに蓮沼家が入って神職となり、義邦、梅太郎、武雄、弘と四代にわたり、社頭の興隆に努めている。
明治四十一年、庄内古川の堤防近くの水神山に鎮座していた水神社を当社の境内に移した。跡地の水神山は後に崩され水田となったが、現在もここは水神山の名で呼ばれている。(「埼玉の神社」より)
吉屋香取神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」