谷中稲荷神社。石井惣右衛門政同が谷中を開発し創建
谷中稲荷神社の概要
谷中稲荷神社は、三郷市谷中にある神社です。谷中稲荷神社は、下総国風早庄八木郷小金領風早城の馬奉行だった石井惣右衛門政同が谷中を開発、天正18年(1590)当社を村の鎮守として勧請したといいます。明治5年村社に列格、明治8年に草庵寺境内の天神社を、明治43年同字不動堀添の日枝神社を合祀しています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 日枝神社、天神社、水神宮、八大龍王 |
祭日 | - |
住所 | 三郷市谷中52 |
備考 | - |
谷中稲荷神社の由緒
谷中稲荷神社は、下総国風早庄八木郷小金領風早城の馬奉行だった石井惣右衛門政同が谷中を開発、天正18年(1590)当社を村の鎮守として勧請したといいます。明治5年村社に列格、明治8年に草庵寺境内の天神社を、明治43年同字不動堀添の日枝神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による谷中稲荷神社の由緒
(谷中村)
稲荷社
村の鎮守なり、天正年中勧請す、草庵寺持
山王社
同寺持
荒神社
村民持下同じ
稲荷社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による谷中稲荷神社の由緒
稲荷神社
当地は湿地帶であったところから「谷中」と呼ばれたとも、当社を現流山市の八木之郷谷中村から勧請したので村名を移したともいう。
村の開発は、天正十八年(一五九〇)に下総国風早庄八木郷小金領の大谷口城が落ち、当時馬奉行の石井惣右衛門政同が土着したのに始まる。石井家は代々惣右衛門または宗右衛門を名乗り、屋号を石井かんきょと呼び三輪野方画にまで及ぶ広大な土地を所有し名主役を務めていた。この石井本家は絶えたが、現在氏子に石井姓が一五戸ある。
当社は『風土記稿』に「稲荷社、村の鎮守なり、天正年中勧請す、草庵寺持」とあり、草庵寺について、「開基は則村を開発せし石井総右衛門源政同なり、政同元高城下野守が家人にて主家投落後爰に土着し寛永九年(一六三二)六月二十九日に死す」と載せている。
文政五年の「本社回廊拝殿新規再建記録」には、「草創鎮座天正十八歳九月、谷中村開発人石井惣右衛門源政同勧請、別当光明山谷中院草庵寺」とある。社殿の造営を手水鉢の銘文は、元禄八年(一六九五)石井政久・天保九年(一八三八)石井忠政市営と残している。
明治五年に村社となり、同八年には草庵寺境内の天神社を合祀した。同社は石祠で「風見荘八木□谷中市介両邨鎮守」の銘がある。また、明治四十三年には、同字不動堀添から通称山王様と呼ばれている石祠日枝神社を合祀している。(「埼玉の神社」より)
谷中稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」