大岩神社。旧称如體權現社(女体神社)
大岩神社の概要
大岩神社は、吉川市下内川にある神社です。大岩神社の創建年代等は不詳ながら、正保年間(1645-1648)に内川から分村した下内川の鎮守として祀られ、如體權現社(女体神社)と称していたといいます。大正元年に下内川に鎮座していた女体神社5社、天神社2社、稲荷社1社を合祀、大岩神社と改称しています。社号は、当地の小字「岩高」に、美称としての「大」と付けたものだそうです(境内石碑より)。
社号 | 大岩神社 |
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祭神 | 伊弉冉命 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間、稲荷 |
祭日 | 春祭1月15日 |
住所 | 吉川市下内川802 |
備考 | - |
大岩神社の由緒
大岩神社の創建年代等は不詳ながら、正保年間(1645-1648)に内川から分村した下内川の鎮守として祀られ、如體權現社(女体神社)と称していたといいます。大正元年に下内川に鎮座していた女体神社5社、天神社2社、稲荷社1社を合祀、大岩神社と改称しています。社号は、当地の小字「岩高」に、美称としての「大」と付けたものだそうです(境内石碑より)。
新編武蔵風土記稿による大岩神社の由緒
(下内川村)
如體權現社五
共に祭神詳ならず、何れも村の鎮守なり、一は正覺院、二は正明院二は金剛寺もち、
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天神社二
共に正明寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大岩神社の由緒
大岩神社<吉川町下内川八〇二(下内川字大荷)>
鎮座地の下内川は江戸川西岸の低地に位置する水田地帯で、古くは上内川と一村をなしていたが、正保のころに分村したという。
『風土記稿』は、下内川村の神社について「如体権現社五、共に祭神詳ならず。何れも村の鎮守なり。一は正覚院、二は正明院、二は金剛寺持。天神社二、共に正明寺持」と載せており、七社共三か寺のいずれかの管理するところであった。
当社は、大正元年に下内川に点在していた各神社を字大荷の無格社女体神社に合祀して現社号に改められた社である。社名は、現鎮座地の旧称である岩高の「岩」に合祀社のうちの旧鎮座地の一つである大熊の「大」を冠したものであると思われる。合祀祭は時の社掌鈴木重昶により執り行われた。『明細帳』によると、統合の対象となった神社は字内沼の村社女体神社をはじめとして、字東宮の女体神社、字大熊の天神社・女体神社・同境内社の稲荷神社、字西宮の女体神社、字沼端の天神社の七社であった。
現在、本殿には、合祀にかかわる史料が多数納められている。そのうち、二基の神牌には、一基に「本宮女鉢大神」、また一基に「稲荷大神」の神名が記され、共に「天和三亥年(一六八三)三月廿一日遷座」とある。これは、字大熊の女体神社とその境内社稲荷神社を示すものであり、合祀時に旧氏子の要望により納めたことが推測できる。(「埼玉の神社」より)
大岩神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」