三福神社(三輪神社)。三輪野江三輪神社を勧請
三福神社(三輪神社)の概要
三福神社(三輪神社)は、三郷市高州にある神社です。三福神社(三輪神社)は、寛永16年(1639)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川市)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げて創祀、稲荷社・秋葉社とともに小向村の鎮守社でだったといいます。明治43年稲荷社を合祀しています。現在鳥居に三幅神社とありますが、三輪神社から三幅神社へと改称があったのか否かは不明です。
社号 | 三福神社 |
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祭神 | 大物主命・櫛玉命 |
相殿 | - |
境内社 | 道祖神、水神宮、阿波島宮、雷神宮 |
祭日 | - |
住所 | 三郷市高州4-137 |
備考 | - |
三福神社(三輪神社)の由緒
三福神社(三輪神社)は、寛永16年(1639)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川市)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げて創始、稲荷社・秋葉社とともに小向村の鎮守社でだったといいます。明治43年稲荷社を合祀しています。現在鳥居に三幅神社とありますが、三輪神社から三幅神社へと改称があったのか否かは不明です。
新編武蔵風土記稿による三福神社の由緒
(小向村)
稲荷社
大雄寺持
三輪社
金剛寺持下同じ
秋葉社
飛地にあり、以上の三社を村の鎮守とせり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による三福神社の由緒
三輪神社
江戸川右岸の堤防のすぐ下に鏡座する当社は、大物主命櫛玉命を主祭神として祀り、境内にある銀杏の大木は遠方からでもよく目立つ。
創建についその確かな記録は残されていないが、一説によれば、寛永十六年(一六三九)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川町)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げ、祠を建てて祀ったことに始まるという。ただし、現在神体となっている天満天神像は、台座の墨書紅「文久元年(一八六一)」とある。
また、当社の社殿は、神社には珍しく北向きであるが、それは、三輪野江の方角に向けて建てたためだともいわれている。
近世において、小向では、本田・新田・飛地(江戸川の対岸にあった)の三地区に分かれており、三輪社(当社)・稲荷杜・秋葉社を各々で鎮守として奉斎していたものと思われる(『風土記稿』によると、三輪社と秋葉社は真言宗の金剛院持ちで、稲荷社は日蓮宗の大雄寺持ち)。ところが、のちに河川改修により飛地は河中に没したため、明治の初めには当社と稲荷社の両社だけとなった。更に、政府の合祀政策に従って、明治四十三年七月に稲荷社を当社に合祀し、文字通り一村一社となり、現在に至っている。
なお、境内には古くから三峰眷属社が祀られており、現在も毎年五月に代参を送り、受けて来た眷属を納めるのが例となっている。(「埼玉の神社」より)
三福神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」