茂田井熊野神社。佐久郡茂田井出身の榎本藤右衛門が当地を開発
茂田井熊野神社の概要
茂田井熊野神社は、三郷市茂田井にある神社です。茂田井熊野神社は、文禄年間(1592-1596)に信濃国佐久郡茂田井の榎本藤右衛門が開墾、万治年間(1658-1651)に創建したといいます。大正年間に光明院境内の天満宮を当地へ遷座したといいます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 比売命、奇稲田姫命、伊弉冉命 |
相殿 | - |
境内社 | 金毘羅社、天満宮、雷電、水神、八大龍王 |
祭日 | - |
住所 | 三郷市茂田井615 |
備考 | - |
茂田井熊野神社の由緒
茂田井熊野神社は、文禄年間(1592-1596)に信濃国佐久郡茂田井の榎本藤右衛門が開墾、万治年間(1658-1651)に創建したといいます。大正年間に光明院境内の天満宮を当地へ遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による茂田井熊野神社の由緒
(茂田井村)熊野社
小名中組の鎮守にして、第六天稲荷の二座を相殿とす、光明院の持、万治年中の勧請と云、傍に庵あり、弥陀を安ず。
末社金毘羅(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による茂田井熊野神社の由緒
熊野神社
武蔵国の東部地域は、元荒川・古利根川・中川沿いの自然堤防上の古い村を除くと、ほとんどが近世初期に行われた新田開発により成立した村々である。当地もそれらのうちの一村で、文禄年間(一五九二-九六)のころに、信濃国佐久郡茂田井村(現長野県北佐久郡立科町・望月町)の榎本藤右衛門という者が来て開墾したと伝えている。また、慶長十七年(一六一二)に関東郡代から藤右衛門にあてた証文によると、諸役や年貢の免除、無利息の種貸しなどの特典が認められており、幕府により藤右衛門の新田開発が支援され、積極的に推し進められていたことをうかがわせる。
当社の創建は、新田の開発もかなり進展した万治年間(一六五八-六一)に行われている。『風土記稿』には「熊野社、中名中組の鎮守にして、第六天稲荷の二座を相殿とす、光明院の持(中略)傍らに庵あり、弥陀を安ず」とあるが、現在では相殿についての伝えはなく、また、藤右衛門の開基とされる光明院も既に廃寺となり、本地仏を安置していた庵も不明となっている。
往時を知る史料としては、「熊野三社大権現守護神、明和六己丑歳(一七六九)六月吉日」と書かれた箱に納まる名号軸がある。これには中心となる「南無阿弥陀仏」の名号と上段の「熊野大権現」が烏点宝珠で書かれている。(「埼玉の神社」より)
茂田井熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」