富足神社。三郷市岩野木の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

富足神社。岩野木・幸房の諸社が明治43年に合併

富足神社の概要

富足神社は、三郷市岩野木にある神社です。富足神社は、岩野木面足神社(第六天社)と、幸房字横道添の村社富福神社、それに岩野木字大堤外の無格社猿田彦神社、大字幸房字横道添の無格社稲荷神社、大字幸房字中横道添の無格社稲荷神社、大字幸房字上横道添の無格社稲荷社香取社合殿・大字幸房字茂田井境の無格社稲荷神社が明治43年に合併して発足したといいます。大正2年当地に遷座したといいます。

富足神社
富足神社の概要
社号 富足神社
祭神 面足尊、倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 三郷市岩野木119
備考 -



富足神社の由緒

富足神社は、岩野木面足神社(第六天社)と、幸房字横道添の村社富福神社、それに岩野木字大堤外の無格社猿田彦神社、大字幸房字横道添の無格社稲荷神社、大字幸房字中横道添の無格社稲荷神社、大字幸房字上横道添の無格社稲荷社香取社合殿・大字幸房字茂田井境の無格社稲荷神社が明治43年に合併して発足したといいます。大正2年当地に遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による富足神社の由緒

(幸房村)
香取村
岩野木村方便寺持
稲荷社十
二は方便寺持、一は花和田村西善寺持、餘は皆村民の持
荒神社
熊野社
共に村民の持
(岩野木村)
第六天社
村の鎮守なり、此地開発の頃勧請すと云ふ、村持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による富足神社の由緒

富足神社
当社は、『明細帳』によると、明治四十三年三月十五日、早稲田村の大字岩野木と大字幸房に鎮座していた各神社を合祀したことにより成立した。
合祀の中心となった神社は、大字岩野木字大堤内に鎮座し、江戸時代は第六天社と呼ばれていた無格社面足神社で、これに大字岩野木字大堤外の無格社猿田彦神社、大字幸房字横道添の村社福富神社と無格社稲荷神社、字中横道添の無格社稲荷神社、字上横道添の無格社稲荷社香取社合殿・字茂田井境の無格社稲荷神社の六社を合併し、社名を新たに富足神社とした。社名の「富足」は、福富神社の「富」と、両足神社の「足」を合わせたものである。
内陣には、金幣・男神像・女神像のほかに、宝暦九年(一七五九)銘の武州二郷半領事房村願主森久兵衛ほか三名の名前を記した板、文政六年(一八二三)銘の「正一位稲荷大明神」の神璽、年紀不明の「本官正官稲荷社神璽羽倉摂津守」と記した板などが納められている。これらは、面足神社及び各合祀社にあった資料と思われるが、各々がいずれの社のものであるか不明である。、
大正二年、当社は境内地が狭いとの理由から、現在地に移転した。境内地は、岩野木村の名主で、代々氏子総代を務めた青田家が提供したという。なお、旧社地は、当社東方の利根川河川敷の辺りである。(「埼玉の神社」より)


富足神社所蔵の文化財

  • 幸房・岩野木の獅子舞(市指定無形民俗文化財)

幸房・岩野木の獅子舞

富足神社は社伝によれば、明治四十三年(一九一〇)三月十五日、早稲田村大字岩野木と同村大字幸房の各社を合祀して成立したといわれている。社名は、同村幸房の福富神社の「富」と岩野木の面足神社の「足」を組み合わせて「富足神社」としたと伝えられている。
獅子舞の起源は、言い伝えによれば、大水に見舞われた時に、三頭の獅子頭が江戸川に漂着し、疫病が流行ったためそれを鎮めるために獅子舞が奉納されたといわれている。
演目は一庭といい、全部で七庭(花がかり、御幣がかり、かんぬきがかり、弓がかり、網がかり、橋がかり、女獅子がかり)ある。各庭では女獅子、中獅子、大獅子の順で舞い、その後、それぞれのかかりの舞になる。庭により笛の曲が異なり、最後に全ての庭で三頭が神前にひざまずいて終わる。この間、先導役の猿は、猿まね踊りをしながら、見物客と交わる。以前は、十月十五日に興禅寺境内で、翌十六日に富足神社境内で舞っていたが、近年の社会情勢の変化に伴い、十月十五日前後の日曜日を祭礼日として一庭を奉納し、その前日を宵宮としている。(三郷市教育委員会掲示より)


富足神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」