彦川戸香取神社。香取神宮支配領だった頃に創建
彦川戸香取神社の概要
彦川戸香取神社は、三郷市彦川戸にある神社です。彦川戸香取神社の創建年代は不詳ですが、当地は中世には彦名の関が設置されていて、千葉県佐原の香取神宮の支配下におかれていたことから、中世に創建したものと考えられるといいます。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主之命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂社、稲荷社、水神、天神、東照宮 |
祭日 | - |
住所 | 三郷市彦川戸1-250 |
備考 | - |
彦川戸香取神社の由緒
彦川戸香取神社の創建年代は不詳ですが、当地は中世には彦名の関が設置されていて、千葉県佐原の香取神宮の支配下におかれていたことから、中世に創建したものと考えられるといいます。
新編武蔵風土記稿による彦川戸香取神社の由緒
(上彦川戸村)香取社
八幡稲荷の二座を相殿とす、當社は上下彦川戸の地界にあり、両村の鎮守にして、村内光福寺下彦川戸村玉蔵院両寺の持なり、社地に本地佛十一面観音を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による彦川戸香取神社の由緒
香取神社
当社は、中川左岸に鎮座している。中川は、中世から舟運に利用され、当地には彦名の関が設置されていた。至徳四年(一三八七)の「香取文書」にば、下総国一の宮香取神宮が造営料及び灯明料を集めるため、この関を通行する荷舟から関銭を徴収していた記事が見え、更に『風土記稿』には、応永二十六年(一四一九)に、この関が鶴岡八幡宮に支配されていたことが載り、舟運の要衝であったことをうかがわせる。
当社の創建は、彦名の関が香取神宮領であったことと関連があると思われる。すなわち、香取神の勧請は、香取神宮の神人と当地の村人とが、関銭の徴収を通して交流を持っていたと考えられることから、関の支配を容易なものとするためには不可欠であったのであろう。
一間社流造りの本殿には、本地仏の十一面観音像を安置している。また『風土記稿』には「八幡稲荷の二座を相殿とす」と載せている。
別当は、上彦川戸村の羽黒行人派光福寺と、下彦川戸村の真言宗玉蔵院の二寺であった。氏子である堀切貞司氏所蔵の復飾い願の下書によると、神仏分離後、光福寺最後の住職正雲が当社の神職になることを産子惣代一同で請願している。これは、恐らく認められたものと思われるが、当地には、正雲の子孫は見当たらない。(「埼玉の神社」より)
彦川戸香取神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」