半割春日神社。佐倉出身の清兵衛が新田開発に際し創建
半割春日神社の概要
半割春日神社は、吉川市半割にある神社です。半割春日神社は、慶長年間(1596-1615)に下総国佐倉出身の清兵衛が新田開発、開発に際し元和5年(1619)に創建したといいます。地名の半割とは、地主と小作人の割り当て方を意味するかつての地主制度に由来するそうです。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 春日大明神、稲荷神、疱瘡神 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮 |
祭日 | 1月11日に近い日曜日 |
住所 | 吉川市半割341 |
備考 | - |
半割春日神社の由緒
半割春日神社は、慶長年間(1596-1615)に下総国佐倉出身の清兵衛が新田開発、開発に際し元和5年(1619)に創建したといいます。地名の半割とは、地主と小作人の割り当て方を意味するかつての地主制度に由来するそうです。
新編武蔵風土記稿による半割春日神社の由緒
(半割村)
春日社
村の鎮守なり、開發の頃鎮座ありと云、近来稲荷疱瘡のニ神を合祀す、村持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による半割春日神社の由緒
春日神社<吉川町半割三〇五-一(半割字裏耕地)>
鎮座地の半割は、江戸川を境に千葉県と接する水田地帯である。
『風土記稿』に「慶長(一五九六-一六一五) 村の開発は、下総国佐倉の人、清兵衛と云者来りて開墾せりと云」と載る。一方、当社の本殿に納められている春日大明神像の厨子銘には、文化十四年(一八一七)に野尻吉兵衛義孝なる者が「当所開発人野尻恵右衛門名代孫」として奉納した旨が記されている。
また、当社は『風土記稿』に「春日社 村の鎮守なり、開発の頃鎮座ありと云、近来稲荷・疱瘡の二神を合祀す、村持」と載り、更に、『明細帳』には「元和五年(一六一九)中ノ創立ト云ヒ伝フ」とある。これらの史料を勘案するに、その創建は村を開発した人々により村の安泰を願って行われたことが推察される。更に稲荷と疱瘡の二神の合祀時期については、疱瘡神社に祀られている牛頭天王像の厨子銘に見える文化十四年がこれに当たると考えられる。
造営については、旧覆屋の礎石の銘文によると、寛永三年(一六二六)に社殿を建立し、天保四年(一八三三)に土台の石垣を再築し、更に文久二年(一八六二)に社殿を修理した。現在の社殿は、昭和六十二年に再建したものである。なお、旧本殿には、「卍」の紋が描かれており、往時、別当が存在したことがわかるが、今となっては明らかにできない。(「埼玉の神社」より)
半割春日神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」