八子新田八幡神社。吉川市八子新田の神社
八子新田八幡神社の概要
八子新田八幡神社は、吉川市八子新田にある神社です。八子新田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、八子新田が開発された江戸初期に、当社も創建されたのではないかと推測され、字蛇畔に鎮座、江戸期には地内にあった香取社・稲荷社と共に村の鎮守として祀られていました。明治5年村社に列格、明治45年字大道の香取神社、字前沼の稲荷神社、字堤外の厳島神社の三社を合祀、大正3年の江戸川河川改修に伴い、字蛇畔から香取神社の祀られていた当地へ遷座しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 弁天、天満、浅間 |
祭日 | 春祭1月15日 |
住所 | 吉川市八子新田1088 |
備考 | - |
八子新田八幡神社の由緒
八子新田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、八子新田が開発された江戸初期に、当社も創建されたのではないかと推測され、字蛇畔に鎮座、江戸期には地内にあった香取社・稲荷社と共に村の鎮守として祀られていました。明治5年村社に列格、明治45年字大道の香取神社、字前沼の稲荷神社、字堤外の厳島神社の三社を合祀、大正3年の江戸川河川改修に伴い、字蛇畔から香取神社の祀られていた当地へ遷座しています。
新編武蔵風土記稿による八子新田八幡神社の由緒
(八子新田)
香取社
末社天神
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八幡社
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稲荷社
以上の三社、東福寺持、村の鎮守なり、
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辨天社
東性寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による八子新田八幡神社の由緒
八幡神社<吉川町八子新田一〇八八(八子新田字大道)>
村の開発は江戸初期といわれ、村名の八子新田も、開発当初の村の戸数、八戸から名付けられた。
当社の創建は、村の開発とほぼ同じころであると思われる。祭神は応神天皇であり、内陣には弓矢を持った銅製の八幡大明神像(四センチメートル)を祀る。
別当の真言宗香取山東福寺は、当社のほかにも村内の香取神社と稲荷神社の管理を行っていたが、明治初年の神仏分離で廃寺となった。
『明細帳』によると、明治五年に村社となり、同四十五年には字大道の香取神社、字前沼の稲荷神社、字堤外の厳島神社の三社を合祀した。当社が村社となった理由は、恐らく八子新田と鍋小路二村の村役場に比較的鎮座地が近かったことから、村政上の便宜を優先させたものであろう。また、当社に合祀した香取神社が所蔵していた享保十九年(一七三四)の木製の神鏡形には、従来「香取大明神」と墨書されていたが、これを「八幡大菩薩正躰」と書き改めている。これは合祀による神社財産の移動を一部すものであろう。
合祀により村社としての形態を整えた当社であったが、大正三年の江戸川改修に伴い、従来の鎮座地である字蛇畔から当社に合祀した字大道の香取神社跡地に移転することになり、同五年、新たに社殿を建立した。(「埼玉の神社」より)
八子新田八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」