半割春日神社。吉川市半割の神社

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半割春日神社。正保2年(1645)に西円寺法印宥慶が創建

半割春日神社の概要

半割春日神社は、吉川市半割にある神社です。半割春日神社は、正保2年(1645)に西円寺(現西栄寺)法印宥慶が導師となり創建したと伝えられ、半割から元禄8年(1695)以前に分村した土場、慶長19年(1614)から開発された飯島の鎮守として祀られてきました。

半割春日神社
半割春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 八幡神
相殿 -
境内社 稲荷・天神・疱瘡、辨天、八大龍王・水神宮
祭日 9月15日
住所 吉川市半割270
備考 -



半割春日神社の由緒

半割春日神社は、正保2年(1645)に西円寺(現西栄寺)法印宥慶が導師となり創建したと伝えられ、半割から元禄8年(1695)以前に分村した土場、慶長19年(1614)から開発された飯島の鎮守として祀られてきました。

新編武蔵風土記稿による半割春日神社の由緒

(土場村)
八幡社
村内及飯嶋村の鎮守なり、眞福寺持、
末社稲荷疱瘡神合社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による半割春日神社の由緒

春日神社<吉川町土場四七五(土場字利根川)>
当社は土場と飯島の大字境近くに鎮座し、土場・飯島両地区の鎮守として崇敬されている。
『風土記稿』によると、土場は古くは半割村の内にあり、元禄八年(一六九五)の検地に初めて載ったと伝え、一また、飯島は慶長十九年(一六一四)に埼玉郡飯島村の平右衛門、伊右衛門なる者二名がこの地に移り、新田を開墾したことに始まり、永らく半割村に属していたが、元禄八年の検地のころに分村したとされる。
創建は、宝暦六年(一七五六)の棟札によると正保二年(一六四五)で、遷宮の導師を西円寺法印宥慶が務め、別当は真福寺であった。西円寺は下総国葛飾郡桐ケ谷村(現千葉県流山市桐ケ谷)にある真言宗の寺院で、当地の真福寺はその門徒で八幡山と号していた。
その後の造営は、棟札によると延享四年(一七四七)に覆屋を再建し、次いで宝暦六年に本殿並びに末社の修理を行い、更に、天保三年(一八三二)に本殿を修復し、明治三年には社殿の再建を行っている。また、近年では昭和五十四年に社殿を修復している。
本殿は一間社流造りで、騎乗の八幡神像を安置している。この像は台座裏の墨書に「明治廿七年十月吉日」とあり、日清戦争の開始と同年代に当たるところから、神威発揚のために奉納したことが推察される。(「埼玉の神社」より)


半割春日神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」