道庭香取神社。下総国一の宮の香取神宮を勧請、道庭村の鎮守社
道庭香取神社の概要
道庭香取神社は、吉川市道庭にある神社です。道庭香取神社の創建年代は不詳ですが、下総国一の宮の香取神宮の分霊を勧請、道庭村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格したものの、明治45年芳川神社に合祀され、昭和44年に復祀したといいます。
社号 | 道庭香取神社(註:道庭が付きます) |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 三十番神、青面金剛、水神宮、八王龍王、明見大菩薩、古峰 |
祭日 | - |
住所 | 吉川市道庭1-2-6 |
備考 | - |
道庭香取神社の由緒
道庭香取神社の創建年代は不詳ですが、下総国一の宮の香取神宮の分霊を勧請、道庭村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格したものの、明治45年芳川神社に合祀され、昭和44年に復祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による道庭香取神社の由緒
(道庭村)香取社
東陽寺持
末社天神。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による道庭香取神社の由緒
香取神社(道庭字井堀内)
当社の創建年代は明らかではないが、口碑によると下総国一の宮の香取神宮の分霊を祀ったものといわれている。『風土記稿』によれば、江戸期には東陽寺の管理下にあり、長福寺管理の稲荷社と共に村の鎮守とされていた。また、正徳三年(一七三一)には宗源宣旨により正一位香取大明神の神位を受けている。
明治初年に東陽寺の管理を離れた後、明治六年、当社は道庭村の村社となった。しかし、同二十二年に当対を含む近隣一五か村が合併して吉川村が成立したことから、いわゆる一村一社制の方針に従い、同四十五年に同村大字平沼の諏訪神社(現芳川神社)に合祀となった。
その後、旧氏子の人々は、祖先の代から心の拠り所としてきた社に対する愛着と敬神の念から、旧地に残された社殿を守り、廃らせることなくその祭りを続けていた。こうして、昭和四十四年の社殿の修復を機に積年の悲願であった芳川神社からの神霊の復祀を遂げるに至った。また、同五十七年六月三十日付けで神社本庁へ登録し、地名の道庭を冠して、子々孫々まで祭祀を続けることとなった。社名に地名を冠した理由は、人々が地名に一方ならぬ愛着を感じていること、更に後世地名が変更されても、社名に旧来の地名を留めておけるという理由からである。
なお、境内の天保十三年の三十番神は北葛飾では珍しい社である。(「埼玉の神社」より)
道庭香取神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」