保泉寺。熊谷市小江川にある曹洞宗寺院

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保泉寺。洞仙院を再興して開山、稲垣若狭守重太開基

保泉寺の概要

曹洞宗寺院の保泉寺は、東方山洞泉院と号します。保泉寺は、天台宗三代座主慈覚大師が天台宗洞仙院を貞観4年(862)に開創、その後洞仙院の荒廃を見かねた文殊寺第4世玉岑宗彝大和尚(弘治2年1556年寂)が曹洞宗寺院に改めて天文年間(1532-1555)に開山したといいます。徳川家康の関東入国後、当地の領主となった稲垣若狭守重太(洞仙院殿堅剛清心大居士)が当地へ移転の伽藍を造営して開基、寛永元年(1624)に保泉寺と改称しています。

保泉寺
保泉寺の概要
山号 東方山
院号 洞泉院
寺号 保泉寺
本尊 釈迦牟尼佛像
住所 熊谷市小江川1317
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 むさしの浄苑
備考 -



保泉寺の縁起

保泉寺は、天台宗三代座主慈覚大師が天台宗洞仙院を貞観4年(862)に開創、その後洞仙院の荒廃を見かねた文殊寺第4世玉岑宗彝大和尚(弘治2年1556年寂)が曹洞宗寺院に改めて天文年間(1532-1555)に開山したといいます。徳川家康の関東入国後、当地の領主となった稲垣若狭守重太(洞仙院殿堅剛清心大居士)が当地へ移転の伽藍を造営して開基、寛永元年(1624)に保泉寺と改称しています。

境内掲示による保泉寺の縁起

保泉寺、曹洞宗の寺で、東方山保泉寺と称し、本尊は釋迦如来である。天文年間(一五三二~一五五五)の開創で、開山は野原文殊寺四世玉岑宗彝禅師、開基は旗本の稲垣若狭守重太である。
寺宝の古文書によると、貞観四年(八六二)に現在地から東方約五〇〇メートル離れた場所に、天台三世慈覚大師が天台宗洞仙院を開創したが、天文年間この寺の荒廃ぶりを見た玉岑禅師は自らの浄財を使い改築復興をし、曹洞宗に改宗した。それから約七十年後、この地の領主となった稲垣公によって現在地に移され、大伽藍を創建し、寺の名を南部山麓にある清泉水のすばらしい薬効を、仏法の源泉とを合せて寛永元年(一六二四)に保泉寺と改称した。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による保泉寺の縁起

(小江川村)
保泉寺
同宗同末(禅宗曹洞派、野原村文殊寺末)、東方山と號す、本尊薬師を安ず、開山玉岑宗彝和尚は、本山四世の僧にて、弘治二年十一月九日化す、中興開基は稲垣若狭守重太にて、法名洞仙院堅剛清心、萬治元年四月廿三日卒す、重太の事は須賀廣村陣屋跡の條に出したれば、合せ見るべし、
天神社
稲荷社
辨天社
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)


保泉寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿