宝光寺。熊谷市板井にある曹洞宗寺院

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宝光寺。熊谷市板井にある曹洞宗寺院

宝光寺の概要

曹洞宗寺院の宝光寺は、板井山と号します。宝光寺の創建年代等は不詳ながら、かつては当地より北西の山中にあり泰光寺と称していたといいます。泰光寺は元亨三年(1323)に焼失、焼失した地から無窓国師が薬師尊像を見つけて当地に遷し、板井山宝光寺と称したといいます。文殊寺第8世鉄山東銀大和尚が慶長六年(一六〇一年)に曹洞宗寺院として開山しています。

宝光寺
宝光寺の概要
山号 板井山
院号 -
寺号 宝光寺
本尊 薬師如来像
住所 熊谷市板井973
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宝光寺の縁起

宝光寺の創建年代等は不詳ながら、かつては当地より北西の山中にあり泰光寺と称していたといいます。泰光寺は元亨三年(1323)に焼失、焼失した地から無窓国師が薬師尊像を見つけて当地に遷し、板井山宝光寺と称したといいます。文殊寺第8世鉄山東銀大和尚が慶長六年(一六〇一年)に曹洞宗寺院として開山しています。また当寺に安置される大聖不動明王画像は、明治維新で廃寺となった修験長命寺で祀っていたものだといいます。

境内掲示による宝光寺の縁起

宝光寺は板井山宝光寺と称し、曹洞宗の寺で本尊は薬師如来である。
もとは、ここより七百メートルほど北西の山の中(現在の地名谷べり)にあって、名を泰光寺といった。いつ、だれが開山したか不詳であり、本尊は行基の手づくりの彫刻であったが、元亨三年(一三二三年)に焼失したといわれ、其の後、宇多天皇九世の孫の無窓国師が、泰光寺の焼け跡から高名赫奕たる薬師尊像を見つけて現在地に移し、板井山宝光寺と改めたといわれている。
その後、慶長六年(一六〇一年)に鉄山東銀大和尚が堂宇を営み、翌年に復興なったと伝えられている。
なお、当寺に安置される大聖不動明王の画尊は、宝光寺十七世鉄文の代に長命寺から遷納安置したものであり、尊像は、明治十八年に永徳寺から迎え奉ったものである。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による宝光寺の縁起

(板井村)
寶光寺
禅宗曹洞派、野原村文殊寺の末、板井山と號す、開山鐵山東銀和尚、本山八世の僧にて、元和二年十二月晦日示寂せり、本尊薬師を安ず、(新編武蔵風土記稿より)


宝光寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿