御正新田雷電神社。熊谷市御正新田の神社

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御正新田雷電神社。新田開発に際し賀茂別雷神社を勧請

御正新田雷電神社の概要

御正新田雷電神社は、熊谷市御正新田にある雷電神社です。御正新田雷電神社の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)に村民坂田六兵衛(喜兵衛の祖先)が当地御正新田を開発、旱魃に際し賀茂別雷神社(上賀茂神社)に降雨祈願したところ降雨に恵まれたことから分霊を奉戴して当地に奉斎したといいます。御正新田の鎮守として祀られ、明治7年には村社に列格、明治40年字上原の山神社と字北内手の粟島神社を、翌年には字大坂の白山神社と字天神山の笹稲荷社を合祀しています。

御正新田雷電神社
御正新田雷電神社の概要
社号 雷電神社
祭神 大己貴命、豊城入彦命
相殿 -
境内社 八坂神社、粟島神社、稲荷・白山・山神社合殿
祭日 夏祭り7月27・28日
住所 熊谷市御正新田438
備考 -



御正新田雷電神社の由緒

御正新田雷電神社の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)に村民坂田六兵衛(喜兵衛の祖先)が当地御正新田を開発、旱魃に際し賀茂別雷神社(上賀茂神社)に降雨祈願したところ降雨に恵まれたことから分霊を奉戴して当地に奉斎したといいます。御正新田の鎮守として祀られ、明治7年には村社に列格、明治40年字上原の山神社と字北内手の粟島神社を、翌年には字大坂の白山神社と字天神山の笹稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による御正新田雷電神社の由緒

(御正新田村)
雷電社
村の鎮守、村持、
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天神社
浄安寺持下同、
神明社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による御正新田雷電神社の由緒

雷電神社<江南町御正新田(御正新田字上宿道南)>
当地の開発は慶長年間(一五九六-一六一五)から始められ、元和二年(一六一六)には伊奈忠政により検地が行われた。しかし、不便な地であるため、新規の農民はなかなか寄りつかず、寛永年間(一六二四-四四)にようやく農民が定住するようになって村として成立をみたという。開発の中心となったのは、坂田六兵衛という人物で、地内にある真言宗浄安寺はこの坂田氏による開基と伝え、山号も坂田山と号している。
当社の創建は、村の開発が進められる中で行われた。口碑によると、慶長年間には旱ばつがこの地を襲い、村人は困窮した。このため、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に降雨を祈願したところ、たちどころに神威が現れた。歓喜した村人は、元和元年に同社に代参を立て、分霊を奉戴して帰郷し、この地に奉斎したという。この時の創建には当然、坂田六兵筏もかかわったものであろう。
『風土記稿』には「雷電社 村の鎮守、村持」とある。明治七年に村社となり、同四十年には字上原の山神社と字北内手の粟島神社、翌四十一年には字大坂の白山神社と字天神山の笹稲荷社をそれぞれ合祀した。(「埼玉の神社」より)


御正新田雷電神社の周辺図