白髪神社。熊谷市妻沼の神社

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白髪神社。延喜式内社白髪神社の論社

白髪神社の概要

白髪神社は、熊谷市妻沼にある神社です。白髪神社の創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている幡羅郡四座のうちの一座「白髪神社」ではないかとも伝えられます。妻沼聖天宮の縁起では、往古伊弉諾・伊弉冉の二柱の神の鎮座、女沼・男沼と称したといい、女沼神は大我井の杜にあったとも推測されることから、後年当地に遷座したとも考えられます。

白髪神社
白髪神社の概要
社号 白髪神社
祭神 白髪武広国押稚日本根子命(清寧天皇)、天鈿女命、猿田彦命、倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 元旦祭、2月初午祭、4月祈年祭、7月八坂祭、10月例大祭
住所 熊谷市妻沼1038
備考 -



白髪神社の由緒

白髪神社の創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている幡羅郡四座のうちの一座「白髪神社」ではないかとも伝えられます。妻沼聖天宮の縁起では、往古伊弉諾・伊弉冉の二柱の神の鎮座、女沼・男沼と称したといい、女沼神は大我井の杜にあったとも推測されることから、後年当地に遷座したとも考えられます。

新編武蔵風土記稿による白髪神社の由緒

(妻沼村)
稲荷白髪合社
寶蔵院持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による白髪神社の由緒

白髪神社<妻沼町妻沼一〇三八(妻沼字女体)>
妻沼の地は、かつて利根川の乱流地帯であった。口碑によると、利根川が繰り返し流れを変えるうちに、上下に同形の大きさの沼が生じ、上に男体様を祀っていたので「男沼」、下に女体様を祀っていたので「女沼」と称するようになったという。一方、妻沼聖天宮の縁起によれば、昔伊弉諾・伊弉冉の二柱の神の鎮座により、女沼・男沼と称したという。いずれにしても、当社の鎮座地の小名である女体は、この「女沼」に坐す神に由来するものであろう。
一説に、当社は『延喜式』神名帳に載る幡羅郡四座のうちの一座「白髪神社」であると伝える。これは『風土記稿』幡羅郡の中に白髪社が当社一社(実際は「稲荷白髪社」とある)だけであることをその論拠としている。しかし、地形的にみて低地である現在地に社が奉斎されたとは考えにくく、後に他所から遷座してきたものと推測される。これについては『大日本史』の「白髪神社 今妻沼村に在り、白髪明神と称す。古へ大我井森に在り、後今の地に匙る」との記事が参考になろう。大我井の森とは、当社鎮座地南方の徴高地にある聖天山歓喜院の境内一帯を指す。あるいは、女体様が坐す女沼を切り開いて耕地となし、村落を形成して行く中で、村鎮守としての稲荷神社が祀られ、更に、大我井の森から白髪神社が遷座されたのであろうか。なお、白髪神社の創建には、清寧天皇の白髪部とのかかわりが考えられる。(「埼玉の神社」より)


白髪神社の周辺図