上新田諏訪神社。熊谷市上新田の神社

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上新田諏訪神社。埼玉県指定有形文化財の諏訪神社本殿

上新田諏訪神社の概要

上新田諏訪神社は、熊谷市上新田にある諏訪神社です。上新田諏訪神社は、押切村の住民が開発した押切新田に鎮座、「おだいかん」の屋号を持つ柴田信右衛門豊忠が延享3年(1746)に創建したと伝えられ、押切新田・三本新田の鎮守として祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治7年村社に列格していました。当社本殿は、埼玉県有形文化財に指定されています。

上新田諏訪神社
上新田諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 -
境内社 女諏訪神社、天神社・琴平社
祭日 例大祭10月17日
住所 熊谷市上新田227
備考 -



上新田諏訪神社の由緒

上新田諏訪神社は、押切村の住民が開発した押切新田に鎮座、「おだいかん」の屋号を持つ柴田信右衛門豊忠が延享3年(1746)に創建したと伝えられ、押切新田・三本新田の鎮守として祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治7年村社に列格していました。

境内掲示による上新田諏訪神社の由緒

諏訪神社
諏訪神社の祭神は建御名方命である。
創立年代は不詳であるが、本尊は延享三年(一七四六年)に柴田信右衛門豊忠が再建し、明治二十八年に修理したものである。拝殿は寛保二年(一七四二年)に建立されたが、昭和四十一年九月の台風により倒壊、直ちに改築に着工し昭和四十二年に完工した。
末社には女諏訪神社、天神社、琴平神社があり合祀されている。
大祭は毎年十月十七日であるが、前夜祭は、拝殿に一対の大きな御神灯(提灯)がつけられ参道には各氏子の御神灯が並び、一斉に灯がともされ壮観そのものである。
最近まで、地区内を山車が屋台囃子もにぎやかに練り歩き、神楽を奉納し、この地の無病息災を祈願したもので、今も屋台囃子を永久に保存しようと努めている。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による上新田諏訪神社の由緒

(押切村)
諏訪社
神主反町出雲持同配下なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上新田諏訪神社の由緒

諏訪神社<江南町上新田二二七(押切字上新田)>
荒川中流の右岸に広がる水田や桑畑を中心にした、のどかな田園風景の中を、川に沿って東西に走る県道熊谷線は、近世には熊谷と寄居方面を結ぶ主要な交通路であった。そのため、この道に沿って多くの集落が点在している。当社の鎮座する上新田もその中の一つであり、元来、行政上はその旧道の北側の押切新田と南側の三本新田の二つに分かれていたが、昭和四十二年の土地改良によって、それが上新田として合併されたものである。
押切新田と三本新田は、それぞれ開発に当たった本村の名を冠したものであり、当社は、押切新田の地内にあるため『風土記稿』や『郡村誌』では押切村の項に記されている。しかし、この両新田は、昔から併せて「上新田」と呼ばれ、同じ村内として考えられていたため、古来、鎮守も当村を両新田で一緒に祀るという形が採られてきた。
社伝によれば、当社は「おだいかん」の屋号を持つ柴田忠雄家の祖先である柴田信右衛門豊忠によって延享三年(一七四六)に創建されたといわれ、その後、嘉永五年(一八五二)に再建された(再建については棟札が現存)。
全体に精緻な彫刻が施された現在の本殿は嘉永五年のもので、本殿の背面には、柴田家の家紋が彫り込まれている。
また『風土記稿』の「神主反町出雲持」という記事から、近世には地内の反町家が神職を務めていたことが知られる。(「埼玉の神社」より)


上新田諏訪神社所蔵の文化財

  • 諏訪神社本殿(埼玉県指定有形文化財)

諏訪神社本殿

「諏訪神社本殿」は、当地の柴田信右衛門豊忠によって延享三年(一七四六)に創建されたと伝えられ、その後、嘉永五年(一八五二)に補修されました。創建時の棟札によると、「歓喜院聖天堂」の造営に深く関わった三ヶ尻村出身の内田清八郎が大工棟梁となり、上州花輪村出身の石原吟八郎が彫刻を担当しました。また、林兵庫正清が細工の意匠に関わるほか、彩色は聖天堂と同じ狩野派絵師が施し、高い技術力を発揮しました。檜皮葺の屋根は信州松本城下の太田松右衛門などの技術に委ねられ、名工集団によって本殿の建立がなされたことが分かります。
本殿の構造は、間口一・四七メートル、奥行二・二七メートルの欅造により一間社流造で、屋根の下には三角の形をした千鳥破風、軒の下には上部が丸く形作られる唐破風を付け、正面には屋根が張り出した向拝を設けています。現在、彩色の多くが薄れていますが、各所に施された人物や動植物の装飾彫刻から放たれる雰囲気が際立ち、実際の規模以上の風格を感じることができます。歴史を超えて保存されてきた本殿からは、渋さの中にも芸術性が薫り立ち、江戸時代中期の熊谷地域が彫刻技術の最先端の地であったことを示す貴重な証しとなっています。(熊谷市教育委員会掲示より)

上新田諏訪神社の周辺図