船木神社。熊谷市船木台の神社

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船木神社。延喜式内社論社

船木神社の概要

船木神社は、熊谷市船木台にある神社です。船木神社の創建年代等は不詳ながら、当地が荒川や和田吉野川を舟で渡って来る地「船来」に由来するのではないかと推定され、元禄年間(1688-1704)頃に一村として成立した箕輪村の産土神として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し明治9年村社に列格、明治43年地内に鎮座していた白山神社、諏訪神社、天神社を境内へ遷しています。工業団地の造成に伴い当地(字阿諏訪野)へ遷座しました。

船木神社
船木神社の概要
社号 船木神社
祭神 豊受比賣命
相殿 -
境内社 天神、白山、諏訪・日枝・八幡
祭日 春日待4月15日、お諏訪さま8月25日、秋日待10月15日
住所 熊谷市船木台5-3-2
備考 -



船木神社の由緒

船木神社の創建年代等は不詳ながら、当地が荒川や和田吉野川を舟で渡って来る地「船来」に由来するのではないかと推定され、元禄年間(1688-1704)頃に一村として成立した箕輪村の産土神として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し明治9年村社に列格、明治43年地内に鎮座していた白山神社、諏訪神社、天神社を境内へ遷しています。工業団地の造成に伴い当地(字阿諏訪野)へ遷座しました。

新編武蔵風土記稿による船木神社の由緒

(箕輪村)
天神社
遍照寺持
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船木明神社
村内の産神なり、東明寺持、下同じ
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諏訪社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による船木神社の由緒

船木神社<大里村箕輪八六七(箕輪字船木)>
箕輪は、比企丘陵の東端部にあり荒川水系の和田吉野川右岸に位置する。地名は、かつて荒川や和田吉野川が増水した際、辺りが水の輪すなわち川の縁になったことに由来する。
鎮座地は小高い丘の上にあり、その周辺からは弥生期から平安期に至る住居跡が発見されている。また、近くには冑山古墳やとうかん山古墳などの大型古墳が存在し、これは荒川の対岸にある行田の埼玉古墳群と同時期(五、六世紀)に築かれたものといわれている。
社名並びに小名である「船木」の由来については、日本武尊が東夷征の折、当地に船で着いたという伝承と胃山古墳の被葬者が武蔵国造兄多毛比命であるとの伝えから、この兄多毛比命が船で着いたという伝承がある。いずれにしても、当地はかつて荒川や和田吉野川を舟で渡って来る要地「船来」すなわち「船津」であったのであろう。あるいは、埼玉古墳群の被葬者と政治的にかかわりがあったかもしれない。
このような背景から考えるに、当社は船で往来する人々の安全を見守る「船来の神」であったのであろう。これが後世、村を開くに当たり、鎮守として崇敬されるようになったものと思われる。
当地は初め箕輪胃山村と称していたが、元禄年間(一六八八-一七〇四)までに箕輪村として一村となっている。(「埼玉の神社」より)


船木神社の周辺図