林泉寺。越谷市大字増林にある浄土宗寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

林泉寺。徳川家康が来訪の折に馬を繋いだ「駒止のマキ」

林泉寺の概要

浄土宗寺院の林泉寺は、正林山徳泉院と号します。林泉寺は、永仁5年(1297)に開創、誓蓮社本譽上人(長享元年1487年寂)が開山したといいます。江戸期には、増林地内に清傳寺・浄泉院の2ヶ寺を末寺として擁していました。武蔵国三十三ヶ所霊場31番札所となっている当寺の木造伝正観音菩薩坐像は埼玉県有形文化財に指定されている他、徳川家康が来訪の折に馬を繋いだとされる「駒止のマキ」など数多くの文化財を有しています。武蔵国三十三ヶ所霊場31番です。

林泉寺
林泉寺の概要
山号 正林山
院号 徳泉院
寺号 林泉寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 越谷市大字増林3818
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



林泉寺の縁起

林泉寺は、永仁5年(1297)に開創、誓蓮社本譽上人(長享元年1487年寂)が開山したといいます。江戸期には、増林地内に清傳寺・浄泉院の2ヶ寺を末寺として擁していました。

新編武蔵風土記稿による林泉寺の縁起

(増林村)
林泉寺
浄土宗、江戸芝増上寺末、正林山と號す、開山本譽文正元年三月示寂す、本尊は三尊の彌陀、此腹籠に惠心の作れる彌陀を収むと云、
鐘樓。享保三年鑄造の鐘を掛
觀音堂。正觀音及子安觀音の二體を安ず、
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清傳寺
林泉寺末なり、眞城山と號す、開山證譽寛永十年十月十七日寂す、本尊彌陀を安ぜり、
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浄泉院
同末、本尊も同じ、(新編武蔵風土記稿より)


林泉寺所蔵の文化財

  • 木造伝正観音菩薩坐像(埼玉県指定有形文化財)
  • 林泉寺の香炉(越谷市指定有形文化財)
  • 銅造阿弥陀如来立像一躯(越谷市指定有形文化財)
  • 駒止のマキ(越谷市指定天然記念物)

木造伝正観音菩薩坐像

この観音坐像は、像高八十四センチ、木目の美しい檜材の寄木造で、鎌倉時代後期に造られたものです。眼は彫眼で、顔・胸などの肉身部には金泥が塗られ、衣の部分には朱彩がほどこされていたとみなされます。また、ひざの裏側には僧侶の姿を描いたと思われる墨書の戯画が認められます。像の胎内背面に、鎌倉時代後期の嘉元二年(一三〇四)に新福寺(どこの寺院か今のところ不明)の本尊とともに造立され、元応二年(一三二〇)に至って彩色されたと読み解ける墨書銘があり、数少ない中世の在銘彫刻の一例として重要視されています。
個性的な顔の造りと特異な服装は、当時関東地方に流行していた中国宋代美術の影響をうかがわせるものであり、像の構造にみられる規格的で整然とした木寄せの技法とともに、このころの関東地方彫刻界の動向を物語るものとして貴重です。
観音堂内向かって右の厨子の中に安置されており、中央の子安観音とともに毎年一回、四月十八日近くの日曜日に御開帳されています。(埼玉県教育委員会・越谷市教育委員会・林泉寺掲示より)

林泉寺の香炉

香炉は香をたくのに用いる用具である。
林泉寺所有の香炉は、総高七四・七cm、木製のもので明和二年(一七六五)に、第十八代住職が奉納したという銘文があり音楽法要並びに説法・別時念仏に用いられてきた。
螺旋状の凹面に抹香を入れ、香の燃え具合によって、時刻がわかるもので、香時計とも呼ばれている。
現在、こうした類の香炉は全国的にみても数少なく貴重な工芸品といえる。(越谷市教育委員会掲示より)

銅造阿弥陀如来立像一躯

林泉寺に安置されている銅造阿弥陀如来立像は鋳銅製で、像高(高さ)三十九・九cm、計上は如来形で大衣を肩にまとい、背面を除く全身は金箔で覆われ、頭部や背面には漆塗りが施されている。
この像の詳しい由来や来歴は明らかではないが、背面腹部から脚部にかけては、鏨(たがね)で彫られた貴重な陰刻銘があり、文字の一部字体が不明確で解読困難な箇所がある中で、左記のような文字は読み取ることができる。
〔背面陰刻銘〕
妻女藤原氏
納一□□□
高田國安 □
永仁五年正月十五日(□部分は解読困難文字)
この文字から拝すると、この像は、おそらく高田國安なる人物とその妻藤原氏が、永仁五年(西暦一二九七年・鎌倉時代後期)に、何かしらの願をかけて造立したものではないかということが推測されるが、「高田國安」とは誰であるのか、また、いつから林泉寺に伝わる仏像であるかは文書史料などがないことから実証は極めて難しいといえる。
童子のような小さめの両手先と両足先を持ち、そのぞ木な表情の中に親しみやすい人肌のあたたかさを漂わせる。また、中世金銅仏としての特徴や仏像全身を一鋳するといった素朴な技法・表現などから、地方仏師と地方鋳物師の合作といった印象が強い仏像といえる。この貴重な美術工芸品を後世に伝え残すため、越谷市指定有形文化財に指定したものである。(越谷市教育委員会・林泉寺掲示より)

駒止のマキ

浄土宗正林山林泉寺は、文正元年(一四六六)本誉上人の開基による。上人は長享元年(一四八七)に当寺において示寂している。
当寺の本尊は阿弥陀如来で、この腹籠には恵心僧都作の弥陀を収むといい伝えられている。
この槙の木はマキ科マキ属の変種とされているラカンマキで推定樹齢四二〇年前後、幹回り一・九五メートル、樹高十メートル、枝葉すこぶる密でよく繁茂している。その配置は誠に絵画的で美しく、この地域では稀にみる立派な槙である。伝えられるところによると、この槙は昔、東照公(徳川家康)がこの地方に野遊の折当寺に立ち寄り、一休みの際、この槙に馬の手綱を結んだことから「駒止めの槙」といわれるようになったといわれている。また、その際、東照公が口をすすぎ、手を洗った井戸を「権現井戸」と称し現在その跡に記念碑が建てられている。(越谷市教育委員会掲示より)

林泉寺の周辺図