新川稲荷神社。旧越巻村字丸の内で崇敬
新川稲荷神社の概要
新川稲荷神社は、越谷市新川町にある稲荷神社です。新川稲荷神社は、慶長17年(1612)に創建、越巻村の鎮守社で、越巻村字丸の内の人々に崇敬されてきたといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
合祀 | - |
境内社 | 天満宮 |
祭日 | - |
住所 | 越谷市新川町1-282 |
備考 | 越巻村鎮守 |
新川稲荷神社の由緒
新川稲荷神社は、慶長17年(1612)に創建、越巻村の鎮守社で、越巻村字丸の内の人々に崇敬されてきたといいます。
新編武蔵風土記稿による新川稲荷神社の由緒
(七左衛門村枝郷越巻村)稲荷社二宇
一は鎮守にて慶長十七年、一は元和元年勧請すといふ、共に満蔵院持
天神、辨天。共に鎮守の末社とす。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による新川稲荷神社の由緒
稲荷神社(新川町1-282越巻字丸之内)
綾瀬川左岸に位置する越巻は、今日の新川町の一・二丁目の各一部に属している。そのうち、新川町一丁目に属する部分が、当社の鎮座地であり、氏子区域である「丸の内」と呼ばれる地区である。
『風土記稿』にも記されているように、越巻には、中新田・丸の内・雨足の組があり、丸の内の住民は当社を、中新田と雨足の住民は、現在の新川町二丁目にある別の稲荷神社を、それぞれ鎮守として祀ってきた。『風土記稿』越巻村の項に「稲荷社 二宇一は鎮守にて慶長十七年(一六一二)、一は元和元年(一六一五)勧請すといふ、共に万蔵院持」との記述があるのは、そうした状況を表したものといえる。
当社は、先の『風土記稿』の中に見える二つの稲荷社のうち慶長十七年創建の方の神社で、元文二年(一七三七)には神祇管領青田兼雄から正一位に叙されており、本殿内には、その時に受けた宗源宣旨・祝詞・幣帛が、寛政二年(一七九〇)の伏見稲荷からの勧遷状や神璽と共に納められている。神仏分離まで別当であった万蔵院は、当社とは県道を隔てた斜向かいにあり、当社の拝殿には、神仏混淆のころの神体も残されている。この旧神体は、直径二五センチメートルの木製の神鏡形で、表面には五個の梵字と「遷宮導師法印快巡 正一位稲荷大明神 元文二丁巳三月吉祥日別当万蔵院」の文字が記されており、この年、恐らくは正一位の叙位を機にして当社が再建されたのであろう。(「埼玉の神社」より)
新川稲荷神社の周辺図