三野宮香取神社。越谷市三野宮の神社

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三野宮香取神社。越谷市三野宮の神社

三野宮香取神社の概要

三野宮香取神社は、越谷市三野宮にある香取神社です。三野宮香取神社の創建年代等は不詳ですが、北条政子が一乗院を建立した際に当社を同時に創建したとも、足利義満の第三子を三野宮大明神として祀ったものともいい、室町時代以前の創建といい、三野宮村の鎮守社だったといいます。

三野宮香取神社
三野宮香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 天神、水神、稲荷三、熊野三社権現
祭日 -
住所 越谷市三野宮333
備考 三野宮村鎮守



三野宮香取神社の由緒

三野宮香取神社の創建年代等は不詳ですが、北条政子が一乗院を建立した際に当社を同時に創建したとも、足利義満の第三子を三野宮大明神として祀ったものともいい、室町時代以前の創建といい、三野宮村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による三野宮香取神社の由緒

(三之宮村)香取社
村の鎮守なり、密蔵院の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三野宮香取神社の由緒

三野宮は、三之宮とも書き、地内には元仁元年(一二二四)に北条政子が建立し、その念持仏を寄進したとの由緒を持つ真言宗の一乗院がある。地名の由来は、『一乗院伝記』によれば応永十一年(一四〇四)に没した足利義満の第三子を三野宮大明神(三野宮稲荷大明神ともいう)としてこの地に祀ったことにちなむものであるという。当地と足利氏との関係は知られておらず、また義満の第三子である義教の没年は嘉吉元年(一四四一)であるため、右の伝説と合致しないが、古くに誰か高貴な人の霊を祀ったことがあったのであろう。
この三野宮の鎮守である当社は、口碑に北条政子が建立したものとも、さる高貴な方の三男がこの地に流れて来て没したのを悼んで建立したものとも伝えるが、いずれも定かなものではない。また、『風土記稿』三之宮村の項に「香取社 村の鎮守なり、密蔵院の持」とあることや、享保三年(一七一八)十一月八日の再建を伝える厨子裏面の墨書の中に十三之宮村社僧医王山神宮寺密蔵院第九代現住覚仁房戒如」とあることから、一乗院の塔頭の密蔵院とのかかわりがわかる。享保三年の再建の後、安政六年(一八五九)十二月に焼失し、慶応三年(一八六七)に再建が果たされた。更に、拝殿は昭和二十六年、本殿は同三十八年に改築が行われている。
なお、本殿には、往時の本地仏十一両観音座像を安置する。(「埼玉の神社」より)


三野宮香取神社所蔵の文化財

  • 三ノ宮卯之助銘の力石(越谷市指定有形文化財)

三ノ宮卯之助銘の力石

三ノ宮卯之助は江戸時代後期に、三野宮村(現在の越谷市大字三野宮)出身で、日本一の力持ちといわれた人物である。市内や埼玉県内はもとより、神奈川県・山梨県・長野県・大阪府・兵庫県などに「三ノ宮卯之助」の銘が刻まれている力石が残されており、卯之助が力持ち興行をしながら日本各地を回ったことが分かる。
越谷市内では越ヶ谷久伊豆神社に一個・三野宮香取神社に四個・三野宮向佐家に一個の計六個が確認されている。(越谷市教育委員会掲示より)

三野宮香取神社の周辺図