大林香取神社。越谷市大林の神社
大林香取神社の概要
大林香取神社は、越谷市大林にある香取神社です。大林香取神社の創建年代等は不詳ながら、大林地内で一番の高台に鎮座、村の成立と同時期に勧請されたのではないかと推定され、江戸時代初期には祀られていたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年に大字大林字西耕地の神明社と白山社を合祀しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、稲荷社、大神宮、白山社、猿田彦大神 |
祭日 | - |
住所 | 越谷市大林311 |
備考 | 旧大林村鎮守 |
大林香取神社の由緒
大林香取神社の創建年代等は不詳ながら、大林地内で一番の高台に鎮座、村の成立と同時期に勧請されたのではないかと推定され、江戸時代初期には祀られていたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年に大字大林字西耕地の神明社と白山社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による大林香取神社の由緒
(大林村)
香取明神社
村の鎮守にて、萬蔵寺の持、
末社天神
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明神社
これも萬蔵寺の持、下同じ、
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白山社
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萬蔵寺
新義眞言宗、三ノ宮村一乗院の門徒、神靈山聖動院と號す、本尊大日を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大林香取神社の由緒
香取神社<越谷市大林(大林字西耕地)>
大林の地は、元荒川の沖積地に位置する。村の開発については明らかでないが、慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』に村名が見える。地内を南北に日光街道が走り、街道を挟んで海道西・海道東の二地域に分かれ、海道西は高地であるために早くから村人が住み着き、海道東は低地で古くは一面水田が広がっていたという。
当社は海道西にあり、境内地は日光街道に面し、地内でも一番の高台に当たる。創建の年代は明らかでないが、日光街道の整備が進められた江戸初期には既にこの街道沿いに祀られていたと考えられる。『風土記稿』大林村の項には、「香取明神社 村の鎮守にて、万蔵寺の持、末社天神」と記されている。また、『日光王中分間延絵図』を見ると、街道のすぐ西方の高台に「香取」(当社)があり、並んで「稲荷」と「天神」(いずれも当社の末社と思われる)が祀られている。
更に、「香取」のすぐ東北に別当の万蔵寺がある。
現在、社殿内には、江戸時代のものと思われる「正一位香取大明神」の社号額が掲げられており、往時神祇管領の吉田家から正一位の神位に叙されたことをうかがわせる。
明治初年の神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となった。その後、同四十年に大字大林字西耕地の神明社と白山社の二社の無格社を境内に合祀した。(「埼玉の神社」より)
大林香取神社の周辺図