野島久伊豆神社。越谷市野島の神社
野島久伊豆神社の概要
野島久伊豆神社は、越谷市野島にある久伊豆神社です。野島久伊豆神社の創建年代等は不詳ですが、武井日向守が神様を背負って当地に定住し祀ったといい、江戸期には野島村の鎮守社となっていたとます。天正5年(1577)加茂神社・貴船神社を合祀、明治6年村社に列格、明治40年無格社熊野社を合祀しています。
社号 | 久伊豆神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | 別雷命、闇靇命、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命 |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 越谷市野島261 |
備考 | 野島村鎮守、旧村社 |
野島久伊豆神社の由緒
野島久伊豆神社の創建年代等は不詳ですが、武井日向守が神様を背負って当地に定住し祀ったといい、江戸期には野島村の鎮守社となっていたとます。天正5年(1577)加茂神社・貴船神社を合祀、明治6年村社に列格、明治40年無格社熊野社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による野島久伊豆神社の由緒
(野島村)久伊豆社
村の鎮守とす、村民の持なり。
末社。稲荷、疱瘡神。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による野島久伊豆神社の由緒
当社は、ロ碑によると、当地の武井重二家の先祖である武井日向守が神様を背負ってこの地にやって来て祀ったことに始まるという。『明細帳』には「天正五(一五七七)八月十三日鎮祭、其後年月不詳加茂神社・貴船神社ヲ合祭スト言伝フ」とあり、この天正五年が右の口碑の年代を指すのであろうか。また、かつては神社の入口に大きな槇の木があり、当社の目印になっていた。
また、砂原(同市内砂原)の久伊豆神社は当社から分社したもので、同社の境内にある槇の木は、分社の際に当社から持って行ったものであるという。
元禄十五年(一七〇二)の棟札には「奉建立久伊豆三社大明神」とあり、「神主竹井内記」「名主高野佐右衛門」の名が見える。また、天保三年(一八三二)の棟札には「奉造宮久伊豆大明神雨屋華表再建氏子繁栄守護祈所」「惣氏子三ケ歳願望成就所」とあり「当社神主武井日向藤原重道」の名が見える。
『風土記稿』野島村の項には「久伊豆社 村の鎮守とす、村民の持なり、末社稲荷・疱瘡神」と記されている。
明治六年に村社となり、同四十年には宇内の[おくまんさま」と呼ばれた無格社熊野社を合祀した。現在、この跡地には、野島自治会館が建っている。(「埼玉の神社」より)
野島久伊豆神社の周辺図