増森神社。旧称水神社
増森神社の概要
増森神社は、越谷市大字増森にある稲荷神社です。増森神社の創建年代等は不詳ながら、江戸には水神社と称し、増森香取神社と共に村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治45年には増森地内の諸社を合祀し増森神社と改号しています。
社号 | 増森神社 |
---|---|
祭神 | 罔象女神など10神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭7月26日に近い日曜日 |
住所 | 越谷市大字増森1892 |
備考 | 旧村社 |
増森神社の由緒
増森神社の創建年代等は不詳ながら、江戸には水神社と称し、増森香取神社と共に村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治45年には増森地内の諸社を合祀し増森神社と改号しています。
新編武蔵風土記稿による増森神社の由緒
(増森村)
香取社
東正寺持
---
水神社
金蔵院持、以上二社村の鎮守なり、
---
辨天社
眞正寺持
---
第六天社
清覺院持、
---
稲荷社四宇
一は東正寺、一は觀音寺、外二社は清覺院の持なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による増森神社の由緒
増森神社<越谷市増森一八九二(増森字立野)>
増森の地は、北と東は屈曲した古利根川、南は元荒川に限られる。古い集落は古利根川の自然堤防上に散在する。
当社は、元は水神社と称していた。創建年代は明らかでないが、大正十三年の河川改修以前は鎮座地のすぐ東側に古利根川が曲流し、そこに「せいが淵」と呼ばれる淵があって水流が渦を巻いていて、しばしば水難事故が起きた。そこで川の怒りを鎮めるために水神様を祀ったものと伝えられている。
『風土記稿』増森村の項には、「香取社 東正寺持〇水神社 金蔵院持、以上二社村の鎮守なり、〇弁天社 真正寺持〇第六天社 清覚院持〇稲荷社四宇 一は東正寺、一は観音寺、外二社は清覚院の持なり」と村内の諸社について記されており、村内の本田地区に鎮座する香取社と当社が村の鎮守であったことがわかる。また、当社の別当であった金蔵院は、同村内の東正寺門徒で、元和元年(一六一五)に僧良識の草創であると伝える。
神仏分離を経て、明治五年に当社は村社に列し、香取社をはじめとする諸社は無格社とされた。更に、同四十五年には、すべての無格社を当社に合祀し、村名にちなんで社号を増森神社と改めた。ただし、香取社や西川・三丁野・外河原の各稲荷社は、社殿が残された。その後、大正十一年に社務所を、昭和四十七年に覆屋・拝殿を新築した。(「埼玉の神社」より)
増森神社の周辺図