新町八幡神社。越谷市越ヶ谷の神社
新町八幡神社の概要
新町八幡神社は、越谷市越ヶ谷にある八幡神社です。新町八幡神社は、文和2年(1353)銘の板碑があることから、文和2年(1353)の創建といいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
合祀 | - |
境内社 | 稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 越谷市越ヶ谷2-2-16 |
備考 | 旧越谷宿新町鎮守 |
新町八幡神社の由緒
新町八幡神社は、文和2年(1353)銘の板碑があることから、文和2年(1353)の創建といいます。
新編武蔵風土記稿による新町八幡神社の由緒
(越ヶ谷宿)八幡社
文和二年と彫し、青石を神體となせり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による新町八幡神社の由緒
越ケ谷宿は、日光街道三番目の宿場として慶長七年(一六〇二)ごろに成立した。宿内は本町・新町・中町の三つに区画され、それぞれに名主が置かれた。
当社はこの三町のうち、新町の鎮守とされている。鎮座地は日光街道の町並みの一角である。口碑によれば、元々八幡様の境内地は岡本家の土地で、いつのころか同家から八幡様に寄進されたという。この岡本家は、越後の上杉謙信の一門であったと伝え、当主の薫で一五代目を数え、現在の住居は当社の参道入口の左手である。ただし、岡本家が当社の創建にかかわったかどうかは明らかでない。
元禄十年(一六九七)の「越ケ谷町検地水帳写」(越谷市立図書館蔵)には「一、弐拾五間半・三拾三間 八幡社地、弐反八畝弐歩 別当天嶽寺」と見える。また『風土記稿』越ケ谷宿の項には「八幡社文和二年(一三五三)と彫し、青石を神体となせり」とある。この青石は、板碑のことで、現在も本殿に八幡大明神立像と共に納められている。『明細帳』では、当社の勧請は文和二年とされているが、これは板碑造立の年紀に結びつけられたものである。あるいは、岡本家が当地に土着した際に同家ゆかりの板碑を当社に納めたとも考えられるが、想像の域を出ない。なお、八幡大明神立像を納める厨子には「明和三戊(一七六六)八月十五日奉納願主石塚半兵衛」と記されている。(「埼玉の神社」より)
新町八幡神社の周辺図