平方浅間神社。越谷市大字平方の神社
平方浅間神社の概要
平方浅間神社は、越谷市大字平方にある浅間神社です。平方浅間神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に社号が記載され、明治維新後の社格制定に際して明治4年村社に列格していました。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 祭礼6月30日、新穀感謝会12月14日 |
住所 | 越谷市大字平方3604 |
備考 | - |
平方浅間神社の由緒
平方浅間神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に社号が記載され、明治維新後の社格制定に際して明治4年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による平方浅間神社の由緒
(平方村)
淺間社
祟源寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による平方浅間神社の由緒
浅間神社<越谷市平方三六〇四(平方字横手前)>
越谷市の北端に位置する平方は、その名が示す通り、北と東を大落古利根川、西を利根川旧河道跡(会の川)に囲まれた平坦な地である。
この平方の地内には、当社のほかに香取神社(二社)・女帝神社・鹿島神社・稲荷神社などの諸社や、呑竜上人を中興開山とする浄土宗の林西寺などの寺院がある。村の開発の年代は明らかでないが、林西寺に宛てた天正十九年(一五九一)の徳川家康朱印状には「武蔵国崎西郡平方郷」と見え、寛永十九年(一六四二)の徳川家光朱印状には「武蔵国崎西郡平方村」とある。
当社は平方の鎮守とされ、そのほぼ中央に位置し、社殿は小丘の上に建立されている。浅間山と呼ばれるこの小丘は、かつて古墳ではないかということで県によって調査がなされたが、何も出土せず、古墳ではないことが確認された。したがって、この小丘は、時代は定かではないが、当社を勧請する際に築造されたものと推測される。なお、かつてはこの小丘はもう少し低いものであったが、大正八年に社殿再建を行った際に、氏子が周囲の土を盛って一メートルほど高くしたという。
『風土記稿』には「浅間社 崇源寺持」とあり、林西寺の末寺の崇源寺が別当であったことがわかる。同寺の中興開山の円誉は元和二年(一六一六)に没している。明治初年の神仏分離により別当から離れた当社は、明治四年に村社となった。(「埼玉の神社」より)
平方浅間神社の周辺図