平方鹿島神社。水中に立てる杭「かし」に由来する鹿島神宮を勧請
平方鹿島神社の概要
平方鹿島神社は、越谷市大字平方にある鹿島神社です。平方鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代に盛んとなった舟運業者が中心となり、水中に立てる杭である「かし」に由来する常陸国一宮鹿島神宮を勧請したのではないかといいます。
社号 | 鹿島神社 |
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祭神 | 武甕槌命 |
相殿 | - |
境内社 | 水神宮 |
祭日 | - |
住所 | 越谷市大字平方489 |
備考 | - |
平方鹿島神社の由緒
平方鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代に盛んとなった舟運業者が中心となり、水中に立てる杭である「かし」に由来する常陸国一宮鹿島神宮を勧請したのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による平方鹿島神社の由緒
(平方村)
鹿島社
月照寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による平方鹿島神社の由緒
鹿島神社<越谷市平方四八九(平方字東前)>
平方は市の北端にあり、かつては利根川本流の河道であった会野川と古利根川に囲まれた島状の地で、発達した自然堤防が中央の水田地帯を取り囲んでいる。集落は、この自然堤防上にあり、地内から中世の板碑が多数見つかることから、古い時代の開発をうかがわせる。
当社は、村の北部にある字東前の鎮守として祀られ、江戸期は西南西五五〇Mにある浄土宗林西寺が別当を務めていた。由緒は既に忘れられているが、境内裏を流れる古利根川は、江戸期より近郷や江戸との舟運が盛んであった。当村では文化十年(一八二二)当時、既に船を持つ船乗稼業の者がいたことが記録に見え、慶応元年(一八六五)には、当村で川下小船を持つ九名の者が、江戸から下肥を運ぶための極印鑑札の下付を川船役所に願い出ている。これは古利根川沿いに住む字東前の者が農家の余業としていたものと思われる。更に、船を肪い、荷を積み降ろすための小規模な河岸を当社近くに設けていたとも考えられ、船を紡うために水中に立てる杭を「戕牁」といい、戕牁のある場所を指す「かしま」が、常陸国一宮鹿島神宮の名の由来ともされることから、武神だけでなく、航海安全の神として信仰されてきたこの神を当地の関係者が勧請したことは想像するに難くない。
また、境内には舟運関係者で結成されたと思われる当村の水神講中により、嘉永四年(一八五一)に建てられた「水神宮」の石祠がある。(「埼玉の神社」より)
平方鹿島神社の周辺図